島村利正を読んで

奈良登大路町/妙高の秋

堀江敏幸さんの『いつか王子駅で』*1(新潮社)を読み終え、ただちに島村利正『奈良登大路町/妙高の秋』*2講談社文芸文庫)を読み始めた。この短篇集には「仙酔島」「残菊抄」「奈良登大路町」「焦土」「妙高の秋」「斑鳩ゆき」「神田連雀町」「佃島薄暮」の八篇が収められている。
収録は発表順で、もっとも古い「仙酔島」が昭和19年、「残菊抄」が昭和30年代、「奈良登大路町」が同40年代、残り五篇が同50年代の作品で、もっとも新しいのが昭和56年の「佃島薄暮」である。にもかかわらず作品の色合いがほとんど変わらないことに驚く。解説の勝又浩さんもまた「これらの作品が全くそんな年月を感じさせない」とし、この作家の特質をこのように評する。

言い換えれば、島村利正は、その処女作から、よほど完成した文学観を持ち、できあがった技術を持って登場し、あとはひたすらそれを磨き上げるという形で、自分の世界を築いていった、そういう作家だということである。
『いつか王子駅で』の主人公「私」は、島村の作品を「檜の香り」と表現した。この一冊だけを読んだ印象からは、まだそうした香りが私の鼻にとどいたとはいえない。しかし、「檜の香り」のする空間にわが身がひたりつつあるということを肌で感じた。
とりわけ冒頭の「仙酔島」。島村の故郷伊那高遠に住む老女が主人公。若い時分に行き倒れの行商人の死に立ち会い、以来細々と墓参を欠かさなかった老女が、行商人の実家のある福山を訪れたいという年来の望みを果たすという短篇で、幕切れに一抹の哀しさをただよわせている。
ほとんどが文庫本で20頁前後の短い作品であるのに対して、代表作「残菊抄」は50頁足らずの長さがある。まわりが短いということと親子三代の菊売りを描いたということもあり、相対的にこの作品が長大な、まるで大河小説のような重みがある。
いま親子三代と書いたが、とりわけクローズアップされているのは、薄倖な母娘二代の菊売りだ。母親は関東大震災のため命を失い、娘は空襲で倒れた。男に翻弄されながら報われずに不慮の死をとげてゆく母娘二代の哀しみを、かわいた筆致で淡々と描き出し、逆に壮絶な印象がある。
島村は伊那高遠に江戸時代から続く老舗の商家に長男として生まれた。しかし家を継がず、学業を途中で放棄して郷里を飛び出し、自らのぞんで奈良の美術出版社「飛鳥園」に身を置く。奈良で志賀直哉瀧井孝作の知遇を得、彼らに師事し作家の道を歩んだ。
妙高の秋」は、彼が郷里を出るまでがつづられ、「奈良登大路町」「斑鳩ゆき」では奈良の生活が懐かしくふりかえられる。また「焦土」では、師志賀直哉を自らの郷里に疎開させる顛末が記されている。
最後の二篇「神田連雀町」「佃島薄暮」は連作で、叔父の介護を任された犬吠の女性が叔父と関係を結んでしまい、自責の念にかられて東京に流れ水商売で暮らしてゆくという他の作品と打ってかわり情痴的でフィクションの味わいが濃厚である。ただそれにしても「仙酔島」と色合いが大きく異なるわけではない。人間を見る透徹したまなざしが作者に備わっているゆえであろうと考える。