日本語のオノマトペ

暮らしのことば 擬音・擬態語辞典

人前で話すのが苦手で機転もきかないから、先生という職業はおよそ私に向いていない。そんな私でも非常勤講師の経験がないわけではない。
東京に移ってからも、一年間だけだったが、北関東のとある女子大に出講したことがある。自宅を出てから学校に着くまで、電車とバスを乗り継いで片道三時間はかかった。昼休みをはさんで二コマ担当していたから、一日仕事になった。
電車移動の時間はさほど苦にならなかった。なぜならばたいてい座ることができたし、読書の時間が十分確保でき、眠くなるとぐっすり眠ってもまだ目的地につかないほどだったから。
しかし肝心の講義になると気分は鬱ぎ気味になる。学生を前に喋りながら、自分の教え方の拙さに自己嫌悪をもよおしてくるのである。自分の進歩のなさにうんざりするばかりだった。
非常勤講師生活はかようにいい思い出はない。そのなかで唯一の収穫といっていいのは同じ曜日にやはり私と同じように東京方面から出講される国語学のK先生と知り合ったことである。
K先生は昼休み後の三時間目だけだったので、講師控室で会話を交わす時間はあまりなかったけれど、帰りの電車がいつも一緒になるので、互いを意識するようになり、いつの間にやら隣同士に座ってお話ししながら帰るようになった。だからある時期から、帰りの電車で眠る暇がなくなったわけだが、そんなことは忘れさせるほどK先生と話ながら電車で帰る時間が楽しかったのである。
学問の話ばかりでなく、何よりもK先生は“本読み”だった。読んだ本の話で盛り上がり、気づいたときには電車が降りるべき駅に着いていたという繰り返し。
K先生から教えていただいた作家に北村薫さんがいる。最初K先生から「北村薫」という小説家の名前を聞いたとき、私は高村薫と混同するほどの知識しかなかった。教えていただいた『空飛ぶ馬』をはじめとする“円紫さんと私”シリーズを読んでからというもの、いまやいっぱしの北村ファンになっている。
そのK先生が執筆に加わっている『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』*1(山口仲美編、講談社)のご恵贈を受けたのは、そんな昔のことも思い出してとても嬉しい出来事だった。
編者の山口さんは、話題にもなった『犬は「びよ」と鳴いていた』*2光文社新書、未読)の著者でもある国語学者
本書には見出し語1385語、総収録語2000語にのぼる日本語の擬音語・擬態語(オノマトペ)が収録され、その用例や語解、語源などがわかりやすく解説されている。これを見ていると、あらためて日本語における擬音語・擬態語の豊かさを感じずにはいられない。任意にページを開いても、たとえば「ぐらっ」と「ぐらり」「ぐらぐら」といった語感は外国語には移し替えられないのではあるまいか。
ことほどさように本書は辞典という以上に読み物として非常に面白い。
帯に万葉集からコミックまで用例を徹底収集した決定版」と惹句があるが、そのとおり、和歌集・平安王朝物語・軍記物・抄物・江戸の戯作・歌舞伎といった古典から、近現代文学はおろか新聞・雑誌記事、漫画(実際イラストも転載される)にまで広く目を配った用例の数々を読んでいるだけで飽きないのである。
脚注では用例に引用された作家の説明がなされていて、これらをざっと(これもオノマトペ)眺めていると、引用数の多寡がわかってなかなか興味深い。もとより全文学作品を総ざらいするのは不可能事だろうが、脚注を見ると主要な作家・作品は漏れなく検索していることがわかるから、全体的な傾向は推し量ることができる。
漱石や芥川、宮沢賢治、鏡花といったところはいかにもオノマトペが多そうだし、頻度も高いと見受けられた。
彼らを別にして他に目についた一人は林芙美子。言われてみると『放浪記』などはオノマトペの宝庫かもしれない。探偵小説・推理小説の分野では乱歩や夢野久作以上に引用数が多く意外だったのが海野十三三一書房版全集を持っているけれどほとんど読んでいないので、今度一度目を通してみようかという気持ちにさせられた。
用例は執筆者(14人)の好みなのだろうか。K先生が執筆を担当された部分には、北村薫宮部みゆきといったミステリ作家や古川緑波柳家小三治といったひねりがきいた文献が紹介されており、先生のお顔を思い出しながら思わず頬がゆるむ。
ただ残念と思う点もないわけではない。いまの作家でオノマトペ使いが絶妙かつ独特だと考えている川上弘美さんの用例が見あたらないこと。項目執筆時期の関係だろうか。あるいはあまりに独特すぎて辞典として収録するにはふさわしくないと見送られたのか。
いま手元にある川上さんの作品をパラパラと(これまたオノマトペ)めくって目に入った風変わりなオノマトペを抜き出してみる。

虫が、りいりいと鳴いている。(『ニシノユキヒコの恋と冒険』)
ラグにくっつけた耳に、天気予報がぼわぼわと伝わってくる。(同上)
沖で波がぎゅうんと持ち上がり、…(『椰子・椰子』)
夕方で、生産緑地帯の上を、こうもりが何匹もぴらぴらと飛んでいた。(「東京日記」『東京人』2002年11月号)
家じゅうの掃除をさっさかしてくれたり、…(「東京日記」『東京人』2003年7月号)
しかたないので、鉛筆を十本、手まわしの鉛筆けずりで全部ぴんぴんにとがらせて、手もちぶさたを紛らわす。(同上)
辞典を引いてみると、「ぴらぴら」「ぴんぴん」の項目がある。「ぴらぴら」は川上さんのような表現があるようだ。太宰治の『お伽草紙』が引用されている。太宰は魚の泳ぎ方をそう表現している。
いっぽう「ぴんぴん」はとがり具合の表現としてはないようで、川上さん独特の用法だろう。ましてその他の語「りいりい」「ぼわぼわ」「さっさか」は項目がない。いま見あたらないが「わしわしと食べる」という表現もあったのではなかっただろうか。
川上さんの用例がないのは残念だが、だからといって本書の価値が減ぜられるものではない。こういう言葉遣いに興味がある人であれば、買って損をしない本であることは間違いない。
最後にもう一つだけ言わせてもらえば、川上さんの用例を探すために全頁をめくらなければならなかった。巻末に語彙索引だけでなく、引用文献索引(せめて引用文献一覧)があればもっと「使える」(使い方としては邪道だが)のにと思った。

*1:ISBN4062653303

*2:ISBN4334031560