足の裏の強さ

無茶な人びと

中野翠さんの文庫新刊『無茶な人びと』*1(文春文庫)を読み終えた。
本書は1996年11月から翌97年11月までの一年間に書かれたコラム(大半は初出が『サンデー毎日』?)をまとめたもので、97年12月に刊行されている。刊行から7年が経過しているわけである。私がまだ仙台に住んでいた頃の話。
現在の文庫化のペースはだいたい単行本刊行後3年だから、7年というのは長すぎる。これまでも中野さんのコラム集はほぼ定期的に文春文庫に入っているから、売れないという理由ではないだろう。中野さんのお考えなのだろうか。
コラムという性質上、文庫化が7年後というのでは話題が古びてしまう(したがって売れそうにない)のが普通だ。ところが中野さんの本の場合、そう感じさせないのだからすごい。
アクチュアルな話題に触れられていないわけではない。たとえば神戸小六男児殺害事件(いわゆる「酒鬼薔薇」事件)、ダイアナ英国元皇太子妃の事故死、オレンジ共済事件、福田和子逮捕、松田聖子・神田正樹離婚、ペルー人質事件、勝新太郎の死などなど、「あったなあ…」と懐かしく思う事件・出来事の数々。
もちろん時事ネタばかりでなく、本や映画、落語や歌舞伎の話題にも事欠かず、こちらは新しい古いという次元を超越している。
今となっては過去になってしまった事件を取り上げたコラムを読みながらも惹きつけられてしまうのは、やはり中野さんの考え方に一本筋が通っているからだろう。
と私は思うのだが、ご自身はまったくそうは思っていないご様子。小林よしのり氏の考え方の頑丈さを、「足の裏が強くて、粘っこくて、自分の立っている所からけっして離れていかないのだ」と評し、ひるがえって自らをこう表現する。

私はけっこう足の裏が弱い。論理や抽象の世界それ自体の面白さに引きずられて、浮足立って、自分の実感や認識から離れてしまうことがある。そういう浅薄な、お調子者のところがある。(235頁)
たんに「足の裏が弱い」=浮足立つという意味だけならば反論できないけれど、地に足がしっかりとついた、別の言い方をすれば確固たる自分の意見をもっていることが「足の裏が強い」ということであれば、中野さんだって足の裏は弱くない、十分足の裏の強い方だと思う。読みながらその考え方に一々納得させられるのである。
ある物事に対する中野さんの熱中(凝り性)ぶりには、(滅多にないが)辟易させられるものもあれば、非常に面白いと思うものもある。
後者の代表例は、橋本龍太郎氏のお辞儀連続写真を見て、あの特徴的なポマード・オールバックヘアの分析をした文章だろう(273-75頁)。
頭髪を「キッチリと整然と三つのブロックに分けている」とし、それを前髪・サイドの髪(鬢)・後ろの髪(髱)とする。そしてそれらが江戸時代の髪型の基本形であることを「くだらない」と自分で嘆きながら説明してしまうくだりである。
こういう瑣事の説明の仕方として切れ味鋭くかつ意表をついていて、思わず笑ってしまった。このあたりは中野さんの本領発揮といったところだろう。

*1:ISBN4167552132