「一葉神話」の崩壊

一葉の日記

和田芳恵『一葉の日記』*1講談社文芸文庫)を読み終えた。
もとより忌日である11月23日に読もうと考えていたが、のばしのばしになったすえ年末年始に読む本のなかに加わった。
同じく年末年始に持っていった大村彦次郎さんの『文壇栄華物語』*2筑摩書房、感想は12/31条)が和田芳恵を叙述の一方の柱とし、以下に掲げるような評言を目にしたのはまったくの偶然だった。弾みをつけてそのまま連鎖的に読書を続けたのだが、骨のある書物ゆえ、すいすい読み通せたわけではなかった。
和田は筑摩書房刊『一葉全集』の編纂者であり、本書はその副産物である。家族が寝静まってから未明まで机に向かい、昼間は図書館へ通う。さらに一葉の父母の生地(山梨県)を毎月一度は訪ねて回ったという。

土地の旧家で古文書漁りをし、樋口家の家系を江戸の宝暦年間まで遡って調べた。一葉の日記には五百人余の名もない庶民が登場するが、和田はこれらの一人一人に丹念に当たった。和田の眼は一貫して一葉の生活を支えた経済的基礎に注がれた。(…)一葉の全生活の解明を経ずして、一葉の実像に迫ることはできない、と和田は思った。(大村前掲書、404頁)
ということで、本書は遺された日記を丁寧に読み解き、その記述をもとに25歳で亡くなるまで一年ごとに淡々としかし執拗に一葉の生活を追跡する。
「淡々と」というのは、想像を排し禁欲的という意味では必ずしもない。書かれてあることを読み込んだゆえに、「書かれなかった」こともまた浮かび上がってくる。「書かれなかったこと」を想定することで、これまでの一葉研究にない新しい一葉像が提起された。
和田は一葉の日記を「明治女書生の厭世立志伝」であり、「日記という形体を借りた、長篇の私小説と評価する。父の死去後若くして女戸主となった一葉には、終生生活苦がまとわりついた。一葉の文学生活や恋愛は金なしで語ることができない。
それは、一葉の愛情は、いつも、金銭を度外視することができない生活の最低線にいたからだが、一葉が求めていたものは、結局、対等な位置にたった恋愛ではなく、パトロン的な存在になるより仕方なかったからだ。
強気な一葉は、そういう金銭的な恩恵にすがらなければならない自分にやりきれなくなって、反撥した。この反撥は、恋愛をも遠く押しやることになった。(228頁)
一葉は、世の中に投げだされたように生きてきた。どういう場合にも、相手を吟味し、計算した。そうしなければ生きてゆくことができなかったから。(277頁)
このような一葉を和田は「生活のしたたかもの」とする。
常に金銭のことを頭に入れながら他人と対した。半井桃水もお金をもたらさないと見れば見捨てられた。しかしその後、そうした過去のしがらみを互いに消し去りピュアな対面を遂げる記事が紹介されるのは救いである。
「相手を吟味し、計算」しなければ生活できないという「最低線にいた」一葉は、稀なる女流作家であるいっぽうで明治の庶民であった。和田は本書をこんな一節でしめくくっている。
一葉の日記が、豊かにあふれているのは、その占めていた位置が庶民の座であり、書かれた内容の向うに、たしかめれば、はっきりと、誰でも感じることができる庶民の生きる智恵があるからだろう。(303頁)
私は一葉の作品といえば「たけくらべ」しか読んだことがない。関連本も何冊か読んだが、終始生活に苦しめられ、また美人だったという程度の印象をもっていたにすぎないから、そんな乏しい読書体験からから「一葉神話」など生まれるべくもない。
しかしながら本書が公表されたとき、「一葉神話」を持っていた人びとにいかなる衝撃を与えたか、いくばくかの想像はできるのである。

*1:ISBN4061963473

*2:ISBN4480823395