第54 浅草から上野へ

東上野・比留間齒科醫院

浅草界隈を歩こうと思った。東武伊勢崎線業平橋駅で降りる。これまで業平橋駅は散歩の終点として、そこから電車に乗って帰るために何度か利用したことがある。散歩の起点として、しかも駅の北へ出るのは初めてのことだ。
駅のすぐ北に小さな古本屋をさっそく見つけてしまった。漫画・アダルト中心の店だが、ミステリ・時代小説の文庫本も並んでいる。このなかから有馬頼義『遺書配達人』*1光文社文庫)を購う。
言問通り言問橋から隅田川を渡る前に、言問通りから少し北にある三囲神社を訪れる。お染久松の道行ではこの神社の鳥居が背景の書割として使われている。神社の鳥居の上部しか見えないから、舞台は少し小高い場所にあるという設定である。
私はすっかり勘違いをしていた。鳥居の先には隅田川が広がっていると思っていたのだ。つまり鳥居をくぐり石段を登った小高い丘の上に神社があると想像していたのである。舞台はその小高い神社の境内というイメージ。
ところが行ってみると神社は平坦な場所にあって予想と違う。では鳥居はどこにあるのか。
実は舞台は隅田川の土手という設定で、土手を降りたところに鳥居があり、その先に境内が広がっていたのである。書割の写真をあらためて眺めると、こちらがわ(土手側)に「三囲社」の扁額が掛かっているから、よく見ればわかるはずなのだ。
三囲神社には六十以上の句碑が点在しているとのことで、境内はそう広くはないから、まさにひしめいているという印象である。隅田川七福神めぐりなのか(三囲神社はその一つ)、大勢の老年男女がリュックを背負って集団で歩いていた。
言問橋を渡り旧猿若町を訪れる。かつて中村座市村座森田座江戸三座がここで興行され、賑わった芝居町である。いまでは民家とオフィスビルが立ち並び、週末は閑散としている。
そこから南下すると浅草寺。すごい人出だ。まだ正月であることを思い出した。まるで風邪のウィルスをもらいにきたようで恐怖感を感じ、慎重に人混みを避け伝法院通りに抜ける。しかしここも人が多い。浅草公会堂では新春歌舞伎興行中であり、また有名な天麩羅屋の大黒屋では大行列。
この通りにある古本屋地球堂書店はいまだかつて入ったことがない。開店しているのを見たのは一度のみ。そのときは別に所用があったので中に入らなかった。だからまだ入ったことがないのだ。
見ると幸い開いている。とある方から、この店には戸板康二さんの本が多くあると教えていただいていたので、楽しみに店に入った。初めてである。戸板さんの本はたしかに十冊程度あったか。それより感激したのは、川本三郎さんの単行本がかなりあったこと。私の本棚以外で川本さんの単行本がこのくらいまとまって並んでいるのを見たのは初めて。でも結局何も買わず外に出た。
さらに南下して駒形に出ると、ここにも戸板さんの本が多くある古本屋浅草きずな書房がある。今回ここでは『演藝畫報・人物誌』青蛙房)の署名本を入手。いずれ購入すべき本と考えていたが、署名入の本を手に入れることができたのは幸運であった。
駒形から浅草通りを東に歩き上野を目指す。ちょうど地下鉄銀座線の上を歩くかたちになる。
ここも何度か歩き、あるいはバスで通ったはずで、その都度気づいていたはずなのだが、銅板貼の看板建築をいくつか発見し、その都度興奮をおぼえた。
これら看板建築はいわば抜けるのをまぬがれた永久歯といったところか。ポロポロと歯が抜け、上に一本、下に一本、わずかに残っているという感じ。それでも貴重だと思うから写真に収める。
またこれは銅板貼ではないけれども、いかにも古そうな歯科医院(「齒科醫院」と書いたほうが雰囲気がでる)と理容院の建物が並んで建っていたので、その写真を冒頭に掲載した。
北千住の駅前通りにも古くて洒落た西洋建築の「醫院」(小児科だったか?)がぽつりと残っているが、同じような雰囲気を感じる。
銅板貼であったり、仕舞た屋風の商家建築の中における洋風建築は、「醫院」の記号であるかのようである。

*1:ISBN4334704328