伝説の名アナウンサー

そうそうそうなんだよ

山川静夫さんの『そうそう そうなんだよ―アナウンサー和田信賢伝』*1岩波現代文庫)を読み終えた。
副題にあるように、本書はNHK初期の伝説の名アナウンサー和田信賢(のぶかた、しかし「シンケンさん」という愛称で通っていた)の評伝である。つまり山川さんの大先輩にあたる人だが、山川さんご自身もラジオで声を聴くのみで、直接お会いしたことがないという。
それもそのはず和田は昭和27年、体調不良(高血圧)をおしてヘルシンキオリンピック中継のため海外に赴き、オリンピック終了後帰国の途につけないままパリに滞在中、40歳の若さで客死しているのである。
いま和田のことを「伝説の名アナウンサー」と書いたが、本書を読んだからそれがわかったまでで、本書に触れるまではまったく知らなかった。購入後今回読むまでの間、何度か他の本で彼の名前を目にするにつれ、いよいよ気になってきたのである。
和田はNHKがアナウンサーを広く全国から募集するようになって初めての年に採用されたいわゆる第一期生である。ただそれ以前からアナウンサーは所属しており、彼らは「有史以前の大先輩」と呼ばれたという。
第一期生の和田には、草創期のアナウンサーとして「初めての」と形容詞がつけられたさまざまな勲章がある。
本書で紹介されているものでいえば、太平洋戦争開戦時、開戦を国民に告げるニュース原稿をとった(話したのではない)のが彼だった。終戦時には、有名な天皇詔書のあとポツダム宣言受諾文を読んだのが彼である。開戦の臨時ニュースを流す時、軍艦マーチをバックに流すことを思いついたのも和田だという。
さらに実枝子夫人は後輩としてNHKに入社した女子アナウンサーで、つまりアナウンサー同士の職場結婚第一号であった。また双葉山が安藝の海に敗れて69連勝でストップしたときも、和田が実況中継を担当していた。このシーンは本書の第一章として印象的に綴られている
山川さんはアナウンサー和田信賢の魅力についてこう書いている。

信賢の魅力のひとつに、私は、彼の無頼性をあげる。意識してそうふるまったかも知れないし、また、信賢のかくれ蓑だったのかも知れないが、それはどうでもいい。実際、彼の無頼性は板についていた。そこから男が匂った。男の色気とは、そういうものかもしれない。(101頁)
ここでは省略するが、これに続く文章などを参照すれば、要するに和田はダンディだったということだろう。無類の酒好きで、後輩たちから頼られ、憎めないキャラクター。
天才肌という印象だが、仕事については「地道な努力家」という定評があり、「相手の特徴を即座に戯画化してとらえる鋭敏な神経の持ち主」だったという。古舘伊知郎的ということか。
ともあれ酒好きは結局死を早める結果となり、また豪放磊落なキャラクターはいっぽうで反感を買うことになり、終戦直後東京から左遷されることになる。
左遷された先が山形放送局であったというのも、山形出身の私としては親しみがもてる。もっとも和田は田舎暮らしに耐えられず、このためにNHKを退社してしまうのだが。
また本書では、和田の交友についても興味深いエピソードが多く語られている。
たとえば六代目菊五郎との衝突。相撲中継でつい口が滑って演劇はつまらぬもので相撲こそ最高といった「失言」を吐いたところ、それを聴いていた六代目が激怒、あわてる上層部に対して和田はいっさい謝罪しなかったという。悪意があったわけではなかったからと、権威にへりくだるような協会上層部に不満たらたら。
花森安治とも交友があった。戦時中からの盟友で、和田の著書『放送ばなし』の装幀を手がけたのが花森。
また和田は「話の泉」の名司会者だった。第三回から司会を担当したとのことで、第一回・第二回の司会者であり、その後もゲストとして出演した徳川夢声も本書にたびたび登場する。
その他プロ野球中継にあたり、実況を先輩の松内則三アナ(神田立花亭の席亭でもあった)と二人で担当したときの楽しいエピソードなどなど、触れたい話は尽きない。

*1:ISBN4006020732