第53 谷中歩きぞめ

谷中墓地

年末年始の帰省でなまった身体および感覚(気持ち)は、この月曜からの仕事再開でずいぶんもとに戻ってきた。
東京にいてプラスなのは、やはり歩くことだろう。それぞれ十数分にしかすぎないが、毎日最低でも寓居−最寄駅、下車駅−職場の間を往復する。一時期万歩計を付けていたことがあって、だいたい毎日1万歩を突破していた。
今日は今年初めて谷中を歩こうと志し、日暮里駅で下車した。このところ体調がすぐれないこともあるし、昨春から幼稚園に通い出した子供のペースに合わせた朝の暮らしをするようになり、家を出る時間が少し遅くなっているため、谷中から歩いて通勤する機会も減っていたのである。
谷中についてはこの「平成日和下駄」でも繰り返し書いているのだが、やはり何度歩いても新鮮な気持ちになって、何かそのときの感慨を書かずにはいられなくなるのだ。
冬の朝、メインストリートは桜並木の葉の落ちた枝から青天が眺められるので明るい。これから徐々に桜の蕾がふくらみはじめることになる。何ヶ月かあとの満開の桜をイメージしてしまうから、昨冬歩いたときより何となく枝も色づきふくらみはじめているような気がしてしまう。
谷中墓地を通るとき必ず詣でているのが色川武大さんのお墓だ。日陰になっているので、寒い朝詣でると霜柱が表土を持ち上げていることがある。土を踏むとさくさくという感触が伝わる。
最近これに獅子文六岩田豊雄)のお墓が加わった。岩田家のお墓は大きなお墓の背後にひっそりとたたずんでいる。今日詣でたら、まだ色鮮やかな供花が墓前にあり、また、墓石を清めるための手桶も墓域に放置されている。最近詣でた人がいるのだろう。忌日は12月13日である。
歩いていると善光寺坂上にコンビニとファミリーレストランができている。また言問通り沿いの商店街の歩道にあったアーケードが撤去されかかっている。店じまいしてしまった古本屋のあとにはまだ入居者がいないとみえる。これまで気づかなかった看板建築の建物を見つけた。すれ違った散歩途中の柴犬は、伏目がちにしかしまっすぐ毅然と歩いている。彼は何を見ているのだろう。
歩いているといろいろなことを考える。
このところ歩きながらMDで音楽を聴くことをしなくなったため、谷中を歩くと、目や鼻だけでなく、耳からも場所の雰囲気を敏感に感じ取ることが多くなってきた。感じ取った情景を頭であれこれとひねくりまわす。ときには全然違うことを考えながら、目・耳・鼻で感じ取っていることをやりすごすこともある。
歩くというのはそうした頭のリフレッシュにもってこいの運動であり、とりわけ谷中を歩くということは、いつだって私にとってささやかな喜びを(ときには悲しみも)もたらしてくれるのである。
(写真は谷中墓地から上野桜木に抜ける道。右側にパティシエ・イナムラショウゾウがある)