原作と映画の関係について

半落ち

横山秀夫さんのベストセラー長篇半落ち*1講談社)を今ごろになってようやく読み終えた。
いまさら説明するまでもないが、本書は、アルツハイマー病に罹った妻を殺害し自首した警察官の、犯行後自首するまで二日間の空白の謎をめぐる物語である。殺害したことを認め自首したから、そこで立件できるものの、空白の二日間については頑として口を割らない、すなわち「半落ち」の状態である。
本書では、この「謎」を中心に、取調担当の指導官(地方県警のなかでも上級職)、担当三席検事、地元新聞記者、私選弁護士、担当地裁判事、刑務官という六人の視点から語られることになる。
この構成がまず絶妙だといえる。地方で起こった一つの事件、しかも警察官の不祥事というスキャンダラスな事件に渦巻く思惑がそれに関わる各人の立場から描かれる。いかにも横山さんらしく、警察・検察・新聞社・弁護士事務所・裁判所・刑務所という組織のなかの軋轢と、そのなかで自己を抑制して仕事に立ち向かわざるを得ない人間の心理の襞が見事に浮き上がる。
もうすぐ本書を原作とした同名の映画が公開される。新作映画をほとんど見ない私だが、妻が応募した特別試写会ペア招待に偶然当選し、昨年末ひと足先に見ることができた。原作→映画でなく、映画→原作の順番で本作品に接したわけである。ストーリーを知らずに映画を見たためか、映画の印象が強烈で、読みながら登場人物が映画で演じた俳優の姿になって頭に浮かんでくるのは仕方ないことだ。
指導官役の柴田恭兵は原作よりスマートな印象、裁判官は原作のほうが重みがある(映画は吉岡秀隆)、対して検察官の伊原剛志、弁護士の國村隼は適役で、とりわけ國村隼は映画では割愛された細部が演技の奥に透けて見えるようで(むろん原作をあとから読んで映画を思い返しての結果論だが)、あらためて彼の演技力に感じ入った。
映画では組織の問題はさほど前面に出てこない。原作ではそれぞれが組織の中でもがく様子が生々しく出てくるが、それゆえに各組織の一般的状況の説明が入り、ぐいぐいと読み進めるスピードを鈍らせる。それが欠点というわけではなく、これがあるために物語に厚みを持たせているのである。
仕方のないことだが、映画では涙と感動という点に重きをおいて細部を殺ぎ落としたため、横山作品の特徴が稀薄になっているのである。映画で省略された重要なポイントを含め、原作を読んであらためてその良さを知った。
本書の謎は「空白の二日間」であると前述した。しかしながら本当の謎はさらにその先に用意されている。
恥ずかしながら、映画を一度見ただけではこの「真の謎」の真意がピンとこなかった。妻から「何を見ていたのか」となじられたほど。原作を読んでようやくその重要性に気づき、感動を深くしたのである。そして、最後の二ページまできて目頭を熱くさせられるとは思わなかった。この点でも原作の切れ味が際立っている。
以上の言は映画は原作に劣るといっているわけではない。映画には映画なりの工夫がなされて面白さがあり、イメージがより鮮烈で、原作以上に泣かされたのである。

*1:ISBN:406211439