露伴の風景

幸田露伴と明治の東京

松本哉さんの新書新刊幸田露伴と明治の東京』*1PHP新書)を読み終えた。
松本さんといえば、『永井荷風の東京空間』『永井荷風ひとり暮し』『荷風極楽』『女たちの荷風』といった一連の荷風本、また最近では『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』(集英社新書)が印象に残る。だから本書もそのライン(明治文人シリーズ)で戦略的・意図的に取り上げられたものかと思っていた。
ところが読み進んでいくと、これまで松本さんはほとんど露伴を読んだことがなかったということがわかる。
露伴を書くことになったきっかけは、谷中を散歩して五重塔跡に興味を惹かれ露伴の『五重塔』を読んだこと、またその後編集者と話をしていて露伴の名前を出されたことだという。松本さんに露伴のことを書いてもらおうと餌をまいた編集者のクリーン・ヒットということだろう。それ以前はむしろ私のほうが露伴を読んでいるくらいだったようだ。
だから本書は、露伴をほとんど知らない人が一から露伴作品を味わってその魅力を知るという道筋が克明に書かれており、その点大上段に構えた露伴論でないことに親近感をおぼえる。
露伴の本をどうやって入手したかというところから述べてゆくのは、本好きにとって、他人がどのように本に接してある作家にのめりこんでゆくのかという関心を満足させるものである。
松本さんはまずネットで露伴全集の古書価を調べる。しかるのち町の古本屋で旧版全集(第一期分)を買い求める。なぜ新版でなく旧版なのか、それは本書を読まれたい。
電信技士として赴任した北海道余市から、職をなげうって文学を志し、東京に戻ったときの紀行である「突貫紀行」、そして処女作の「露団々」から読み始める。さらに作品では「いさなとり」「ウッチャリ拾ひ」「水の東京」などが紹介される。
私はいつもの「読み惜しみ」で露伴作品をそう読んでいるわけではない。だから「露団々」や「風流仏」など初期作品の魅力を知ったのは収穫だった。
「ウッチャリ拾ひ」で思い出したのは、国書刊行会の「日本幻想文学大系」シリーズ。このうちの露伴集は種村季弘さんの編にかかり、このシリーズのなかで一番熱心に読んだ集なのではなかっただろうか。幸いこれらは実家に送ってあっていま容易に閲覧することができる。
見てみると、「雪たたき」「望樹記」「ウッチャリ拾ひ」「土偶木偶」「新浦島」などが収録されている。「雪たたき」「ウッチャリ拾ひ」「土偶木偶」はこれで初めて読めたはずで、とりわけ幻想文学としての評価が高かった「土偶木偶」を興奮しながら読んだような気がする。いっぽうの「ウッチャリ拾ひ」はほとんど思い出せない。いまであればこちらのほうを楽しく読めるような気がしないでもない。
松本さんの本に戻れば、作品だけでなく、露伴が住んだ向島界隈を自分の足で歩いたり、晩年を同じ市川で過ごした荷風露伴の関係を、幸田文さんをからめて論じるなど、ユニークさが際立つ。
風景画家として、その著書には丁寧でリアルなイラストが入っており、松本さんの本を読むときの楽しみのひとつとなっているが、今回も、露伴が住んだ明治末年頃の向島界隈の手書き地図を見ていて時間を忘れるほどだった。まだ荒川放水路が開かれておらず、水路が縦横に走り池が点在する田園風景の向島が眼前に立ち上ってくるようだった。

*1:ISBN456963348X