明治東京のわすれもの

明治商売往来

仲田定之助さんの『明治商売往来』*1ちくま学芸文庫)を読み終えた。
本書は日本エッセイスト・クラブ賞受賞作ということであるが、たしかにそれに値する名著である。もし文庫化されなかったらまったく知らないままだったかもしれず、筑摩書房に感謝したいほど。
仲田さんは明治21年(1888)東京日本橋に生まれた。ドイツに留学して帰国後バウハウスをいち早く日本に紹介したという美術評論家が本業らしい。
本書は、明治時代に盛んだったさまざまな職業を、著者自らの記憶を柱として、書物からの見聞や関係者への聞き書きなども加え、抒情的かつ鮮やかに描き出した“商売尽くし”である。
全七章に分かれており、「1 みせがまえ」では勧工場・各種問屋や帽子屋・靴屋など店構えが特徴的な職種、「2 こあきない・てじょくにん」では、店を持たない行商から日常生活と密接に関わる職人たちを、「3 ゆうらく」では、蓄音機屋・絵双紙屋・覗きからくり・寄席など娯楽施設・娯楽場所を、「4 のみもの・たべもの」では、その名のとおり飲食業を、「5 のりもの・ともしび」では、交通・輸送業や蝋燭屋・提灯屋といった商売を、「6 きぐすり」では、主に薬販売業を、「7 そのほか」では、以上の六章に収めきれなかったもの(代用小学校・銀行など)が紹介されている。
いずれも著者の生まれ育った日本橋界隈から神田といった、現在の千代田区中央区辺のお店が中心で、みずみずしい記憶と正確な事実のバランスが絶妙な面白い読み物であった。
本書で取り上げられなければ、一人一人の古老の記憶のなかだけで生きつづけ、わたしたち後世の人間にはまったく知られずに消えてしまったのではないかと思われるような、とてもマイナーな商売がいくつも紹介されているのが素晴らしい。
たとえば「蕎麦屋の書家」。蕎麦屋の壁に架かっているお品書き(「かけ」「ざる」など)の「一癖ある古風な筆致」は、蕎麦屋のみをまわってそれ専門に書いて歩く書家・筆工によるものなのだそうだ。
ここまでならば何か他の文献でも書かれていそうだが、さらに細かいのは、彼ら「そば品書きの文字職人」は、「景丸」「芳丸」というように、語尾に「丸」がつく雅号を名乗っていたという話。なかでも「竜丸」という人が一番うまかったという砂場主人の回想を引用している。
別にこの存在が明らかになったからといって歴史が変わるわけではない。しかしこうした記述こそ本書の価値を示すものだろう。
著者の個人的記憶という点では、「かりん糖売り」の項が面白い。
「雨が降ってもかァりかり、雪が降ってもかァりかり。かりか、りかりか、うんとこどっこいしょ」とベルを鳴らしながら威勢よく叫ぶ。毎日のようにやって来るので口上を憶えてしまったが、一度も買ったことがなく、売られていたのがどんな菓子だったかはっきり分からないという。著者は口上(文中では「歌」とする)から花林糖売りに相違ないとしているが、買う/買わない、行った/行かないにかかわらずこのような細かな記憶は驚嘆に値する。
「電車」の項では、神田橋から日比谷まで初めて開通した第一日目の朝に試乗し、「満ち足りた気持ちで帰った」という微笑ましいエピソードから、話は東京市内に三つの会社に分かれて運営されていた市電(「東電」「街鉄」「外濠線」)には、現在のプロ野球チームのファンのように贔屓が分かれていたという思い出に移る。
著者は“外濠線ファン”だったらしいが、徳川夢声の自伝や獅子文六の『ちんちん電車』、永井龍男の『手袋のかたっぽ』を読んだら各氏も外濠線びいきであることを知り、仲間を得たと喜んでいる。これもまた微笑ましい。そういえば野口冨士男さんも『私のなかの東京』(中公文庫)では、まず外濠線のあったルートを書いていたような気がする。
都電(市電)があったという事実に間違いなく彩りを加える思い出であり、こんな明治の東京の知られざるエピソードを拾う嬉しさに満ちあふれた書物であった。

*1:ISBN4480088059