東京を次代に遺すために

東京遺産

職場が本郷で、通勤に営団地下鉄千代田線を使って北東のほうから通っていることもあり、谷中・根津・千駄木のいわゆる“谷根千”地域は馴染みが深い。もとより仙台にいるときから森まゆみさんの本は買っていたから、森さんたちが作る地域雑誌『谷根千』の存在を知らなかったわけではない。しかしやはりまったく無関係の土地に住んでいると、買おうという気にまではならないものである。
東京に住むことが決まったとき、いま住んでいる町を選んだのは偶然だった。通勤には営団丸の内線を使うのがベストで、となれば池袋を起点に西武線東武線を使った西郊に住むのが常識的な選択だったろう。ところが私はあまのじゃくだから、そういう正攻法は採りたくなかった。ならば他の選択肢はあるのか。
首都圏版住宅情報誌に付いている鉄道路線図と東京の都市地図を交互に眺めていたら千代田線という路線があり、そこの根津あるいは湯島という駅で降りても通えそうだということがわかり、そうすることに決めたのである。このとき根津駅谷根千の根津であることを認識していたかどうか、いまでは記憶にない。
住まいを決めてから実際に路線に乗って歩いてみて気づいたのは、根津・湯島から本郷に出るには、本郷台地への坂道を上っていかなければならないということだった。これは地図からだけではわからないことである。仙台で車に頼る生活をしていた身にとって、当初あの坂道を上って十数分歩くことは苦しかったけれど、いまではほとんど苦になっていない。
そのうち歩くのが楽しくなり、通勤定期を活用して(実際は損なのだが)、朝に途中下車して少し長く歩いて通ってみたり、退勤後先の駅まで歩いて帰るようにもなった。『谷中スケッチブック』*1『不思議の町 根津』*2(ともにちくま文庫)といった森まゆみさんの本によって、毎日通る町について知ろうという気になったのもそれからのこと。
最初のうちは森さんの本やガイドブックを頼りに歩いていたが、だんだん土地勘がついてくるようになると、たまたま見つけた路地を入っていってもだいたい自分がどこにいて、そのまま行くとどこに出そうかがわかってくる。そうやって新しい道を「発見」してはまたその町の魅力を知る。谷根千歩きの楽しさを知ったのは東京に住んで一年ほど経ってからだから、そういう繰り返しで五年が過ぎようとしている。
このところ心身に余裕がない(などというのは身勝手な言い訳にすぎないのだが)こともあって、通勤退勤時に谷根千を歩くのは月に一、二度程度になってしまった。しかもだいたい決まったルートを歩いてしまうので新しい発見がない。刺激がないと町歩きの魅力も半減し、さらに町が遠のく。
いや、発見がないわけではないのだ。もっとも、悲しいことに、発見といってもマイナス方向のもの。
要するに、それまであったはずの昔ながらのたたずまいの家がアパートに建てかわっていたり、土地が更地になっていたり、歩く間隔があけばあくほど、「あれ?前ここにはたしか…」と首をひねって思い出し、気づいてから嘆くことが多くなってきた。最近この傾向がとくに顕著になってきたように思う。戦災をまぬがれ、戦前からの雰囲気をよく残しているといわれる谷根千地域ですらこうである。
昔からの建物が取り壊されるのにも事情がいろいろある。老朽化、町の開発、そして相続税。これは谷根千地域に限るまい。バブルがはじけて地上げ―開発のペースが落ちてきたとはいえ、東京では次々と高層ビルが建設され、もてはやされている。
関東大震災から80年が経過した今、震災後に建てられた建物の耐用年数が到来したということなのだろう。たとえば同潤会アパートは次々と取り壊され、いまや数えるほどしか残っていない。
森まゆみさんの新著『東京遺産―保存から再生・活用へ』*3岩波新書)は、いまあげた同潤会アパートなど、東京にある歴史的建築物や景観を保存し活用しようと取り組んできた経験が記録された興味深い本であった。
取り上げられているのは同潤会アパートのほか、旧東京音楽学校奏楽堂(上野)・旧岩崎邸(湯島)・東京駅・上野駅・丸ビル・日本工業倶楽部・谷中五重塔不忍池・日暮里富士見坂・安田邸(千駄木)・旧サトウハチロー邸(弥生)・旧吉田屋酒店(谷中)など。
森さんはじめ『谷根千』の同人である仰木さん・山崎さんが保存運動に関わってこられた谷根千地域のものが多いが、これらを読んで思うのは、当たり前だが「昔のものだから」とただ闇雲に保存しようとしても駄目だということ。手放す人にも事情がいろいろとあるし、その建物がある場所(町)全体の特性も考えなければならない。
邸宅のある文京区と遺族、そして新たな移転先との間で軋轢があり、結局邸宅は取り壊され、遺品・資料類も新たな移転先となった岩手県北上市に移ったサトウハチロー邸の経緯を見ると、建物・資料はもとからある場所に保存されるのが望ましいという考え方を中心に、受け入れ側と寄贈する側にもそれぞれ言い分があってせめぎ合いが生じ、結局まとまらなかった代表的な事例だということができる。
また、現在は谷中の別の場所に下町風俗資料館付設展示場として移築された旧吉田屋酒店の例では、谷中のように地域全体が昔ながらの雰囲気をとどめ、それを保存していこうと考える人が多いように思われる町でも、問題はそう簡単ではないことを知った。
吉田屋は谷中三崎坂上に18世紀から200年も続いた老舗で、震災・戦災のときに谷中の町を救ったという由緒のある家。あとから谷中に住んだ人間(200年も続いているのだから、ほとんど皆がそうだろう)が、吉田屋さんが建て替えをするということに反対できるのかと、保存の呼びかけを躊躇する声が根強かったという。「古い町ゆえのしがらみ、義理人情との板挟み」という谷中ゆえの問題が保存再生の道を狭めてしまう。
保存などと声高に叫んでみても、ことほどさように建物や土地によって事情はさまざま。とるべき道も一様ではない。本書に記録された森さんらの取り組みは、歴史都市東京の今後を考えるための貴重な材料となるに違いない。