西野幸彦年譜

ニシノユキヒコの恋と冒険

西野幸彦は哀しくも幸せな男である。
彼は五十数年の人生を独身で過ごしたけれど、数多くの女性と関係をもった。自分で「女たらし」であることを自覚しており、女性のほうでは「するりと女の気分の中へすべりこんでくる種類の男性」である西野に魅了されてしまう。でもあまりに冷静で、つかまえどころのない完璧さをもっていたため、本気で愛されていないのではないかという疑念をもたれ、最終的には女性に捨てられてばかり。女性と別れて去る西野の後ろ姿が哀愁をそそる。
とめどない世の中にいたたまれないと絶望し、心から女性を愛したいがために遍歴を重ねた彼は、五十歳を過ぎてから、自分でどうしちゃったんだろうと思うほど常軌を逸する恋をする。相手は十八歳の女の子。不慮の事故で亡くなる直前、その彼女と電話で話せた彼はやはり幸せなのだろう。しかも、亡くなってからは幽霊になって生前付き合っていた母子のところに出現し、即席の墓碑までつくってもらう。死んでからも付き合っていた女性たちの記憶のなかにとどまりつづけ、語られつづけるというのは、男冥利に尽きるのかもしれない。
川上弘美さんの最新作『ニシノユキヒコの恋と冒険』*1(新潮社)は、そんな男西野幸彦と付き合った女性十人の一人称で彼の思い出を語らせる十篇の短篇からなる連作短篇集である。
少年時代から五十代で亡くなる直前までの男の人生を付き合ってきた女性の語り口のみで描き出すという発想が秀逸だ。年齢や立場はむろん、タイプの異なるさまざまな女性の口から一人の男性像をあぶりだすことは、逆に、一人の男性を鏡にしてその前を通り過ぎたさまざまな女性像を映し出すことにもなる。立体的で深みのある作品集に陶然とさせられた。
BOOKISH第4号*2川本三郎さんの『青いお皿の特別料理』*3NHK出版)の人物相関図を作成したような性癖をもつ私としては、これを読んでいて当然ながら主人公西野幸彦の一生を編みたいという欲望にかられた。
収録の十篇を並べ、西野の年齢/相手(語り手)の年齢・立場/特記事項を摘記するとこんなふうになる。

  1. 「パフェー」:40代か/一回り下の主婦、小学生の女の子の母/幽霊となって登場
  2. 「草の中で」:14歳/中学の同級生
  3. 「おやすみ」:27〜30歳/会社の上司
  4. 「ドキドキしちゃう」:20代前半/大学の同級生?/3と時期重なる
  5. 「夏の終りの王国」:30歳過ぎ/年上の小説家/3の直後
  6. 通天閣」:31歳/同居する二人の女性(21歳)
  7. 「しんしん」:35歳/マンションの隣人(40歳)
  8. 「まりも」:37歳/料理教室で知り合った孫のいる主婦(推定50代)
  9. 「ぶどう」:50代半ば/女子大生(18歳)/死ぬ
  10. 「水銀体温計」:18歳/大学の先輩(高校の同窓)/4と時期重なる

上記の物語を彼の年齢によって並べかえると、2→10→4→3→5→6→7→8→1→9→(1)となる。最後の(1)は幽霊だ。6によればよど号事件の年に生まれたとあるから1970年生まれである。
最初に幽霊となった彼の姿をちらりと見せ、戻って青春時代の彼の姿を見せる。その中学時代を描いた2にしても、西野は語り手の女性と付き合っていたのではなく、彼女に交際を申し出て断られる役回りなのである。それでも存在感はたっぷり。
川上さんがこの排列に仕掛けた意図はどこにあるのか。私にはそこまで深読みする能力も気力もないが、どんな解釈が可能なのか、これを読んだ方の解釈をお聞きしたい気持ちである。
以前私は川上さんの作品世界を「妙齢女性の文学」と規定したが、川上さんは8のなかで五十代の主婦にこんなことを言わせている。

ニシノくんは、妙齢の女性(と私は自分の世代の女性のことを勝手に呼んでいる。もともと妙という字が女・少という字からできているところから、少女ひいては若い娘のことを妙齢と呼ぶわけである。しかし妙という字には、1きわめて巧みなこと。2変なこと。3深遠な道理。という意味がある。このでんで行くと、妙な齢という言葉には、少女よりもむしろ中年老年の女の方がさまざまな意味で該当するのではないかと、ある日思いついたのである)が大勢をしめる会員の中で、異彩をはなっていた。
このでんで行くと、私の理解は必ずしも川上さんの意に添ったものではないのかもしれない。いずれにせよ川上さんが「妙齢」という言葉にこだわりを見せていることを知っただけでも嬉しい。