本読みの男女差

リビング

どんなきっかけである作家(とその作品)を好きになるものか、ひょんなことから読みはじめて一気にはまってしまう例もあるから面白い。
そのきっかけがなければ、もしかしたらまったく読まないままだったろうと考えると、本読みのきっかけというものは「人生の岐路」まではいかないにしてもそれに近い、スリルに満ちた瞬間であることを強く感じてドキドキする。
重松清さんの作品に熱中するきっかけは、何度か書いてきたように、ネットを通じて知り合った人形作家石塚公昭さんの作品が文庫カバーになっている直木賞受賞作『ビタミンF』*1新潮文庫)を読んだことだった。三十代後半のわが身の置かれた立場、とりわけ子供のいる父親という立場の幸せと哀しみを描いた作品に強烈な磁場を感じたのである。
もちろん重松清という名前を知らなかったわけではない。とくに『小説新潮』三月号での山口瞳担当編集者座談会での司会をはじめ、山口瞳の世界を媒介に、いずれ読むことになったかもしれなかったのである。ただ『ビタミンF』を読むまで、重松さんの作品がどんな内容なのか、さっぱり知らなかったことは正直に告白しておく。
つい何ヶ月か前まで知らなかったのだから偉そうに言える立場でないのだが、ファンになってから、重松ファンには男性に多いということを知り、半分納得、半分不思議に思ったのである。
納得というのは私が感じたような立場に共感を抱く中年男性がきっと多く、反面でそうした世界に入り込めない女性も多いのだろうということ。不思議というのは、重松さんの描く世界は必ずしも男性の立場から書かれたものばかりではなく、現代家族が置かれた状況をリアルにとらえているからなのである。
とすれば既婚/未婚という分類も可能かもしれないけれど、やはり重松ファンは既婚者が高い割合を占めているのだろうか。
さて文庫新刊『リビング』*2(中公文庫)を読んだ。これは連作短篇集で、吉田伸子さんの解説によれば、『ビタミンF』と同じ年に刊行された作品集だという。このほか『カカシの夏休み』(文春文庫)もそうだとある。『カカシの夏休み』を読んだときにもまた深く感動したので(9/6条参照)、当然『リビング』にも大きな期待を寄せたのである。
結論からいえば、この期待は裏切られなかった。やはり面白い。本書の面白さは、他の重松作品と同様現代の若い家族のぶつかる様々な問題を絶妙なかたちであぶり出した点にもあるのだけれども、それ以上に連作短篇集としての趣向の面白さにも惹かれた。
というのは、全12編の短篇中、4篇が「となりの花園」の春・夏・秋・冬として、とある新興住宅地で隣同士になった若い家族二組の家族問題および近所づきあいをテーマにした続き物の短篇となっており、その合間合間にまったく意趣の違った短篇がはさまれているという構成になっているからなのだ。私はこういう趣向を凝らした連作短篇集に弱い。
「あとがき」を読むと、これら短篇はもともと『婦人公論』誌に連載されたものだという。重松さんは、「読者のほとんどがオトナの女性である雑誌で、三十代後半の男がお話を書く」ことでピント外れのモチーフの小説になってしまうことを怖れ、月々の『婦人公論』誌の特集に合わせた内容の小説を書くという縛りを自らに課したそうなのだ。
そう言われてみると、「オトナの女性」が人生の様々な局面で遭遇するいろいろな状況がとらえられていることに気づいて、なかなか興味深い。そういう来歴の短篇集であるので、他の作品に比べれば女性も近づきやすいのではないか。
重松さんの小説は女性の立場で読むとどんな感想を持たれるものなのか、自らが熱狂的な愛読者になったゆえに、この点とても興味津々なのである。