ウルトラへの郷愁

ウルトラマンの東京

お恥ずかしい話だが、かなり最近になるまで私は「ロケハン」とは「ロケ班」のことかと思っていた。「ロケをする人間の集団」の意味である。ロケ場所を見つける意味での「ハンティング」(でいいのだよな)の略語であったのを知ったのは、いい大人になってからのこと。
もともとドラマ好きではあったが、東京に移り住んでから、ドラマのロケ地に興味を持ちだし、また最近見るようになった旧作日本映画のロケ地などにも惹かれるようになったことで、ロケハンの重要性がわかるようになってきた。
実相寺昭雄さんのウルトラマンの東京』*1ちくま文庫)は、「ウルトラマン」などが撮影された昭和40年代の東京をふりかえりながらロケ場所を再訪するという詩情に満ちたエッセイ集であった。
実相寺さんはもともとTBS社員として円谷プロに出向し、「ウルトラマン」シリーズの製作に監督として携わった。もちろん現在も活躍中の映像作家であることは説明するまでもない。
昭和42年生まれの私はウルトラマン世代にあたる。昭和41年に放映が開始された「ウルトラマン」や同42年の「ウルトラセブン」は当然再放送だが、リアルタイムで見たのは「帰ってきたウルトラマン」からだろうか。マニアックという域に踏み込んでいたわけではないけれど、当時の子供たちが皆そうであったレベルでウルトラマンシリーズに熱狂した。
円谷プロは世田谷区砧にあったことも手伝って、ロケ地として選ばれたのは世田谷区を中心とした東京西郊であることが多かったようだ。もちろん都心でも数多くのロケが行われたそうで、いまと比較すれば、当局も対象者もロケに対してだいぶ寛容だったらしい。いまではとても考えられないような場所やビルでロケをしたと回想されている。
近未来SFドラマたる「ウルトラセブン」に和風のセットを用いることはもってのほかというなか、実相寺さんは自身が監督した作品中であえてメトロン星人を畳の部屋に住まわせた。この頃からすでに実相寺さんはレトロ指向だったのだ。

昭和三十年代から四十年代にかけては、ヒーローや怪獣があばれるにふさわしい街の佇まいが、東京にはあったのだ。(…)これから、怪獣や宇宙人や超人やロボットが活躍するとなれば、ひろい空がある人口五十万以下の都市がいい。(「はじめに」13-14頁)
ヒーローにも時代性がある。超高層ビルが東京中に立ち並ぶご時世、それらをなぎ倒すような怪獣を想定すると怪獣が巨大化する。必然的にそれと闘うヒーローも巨大化せざるをえない。となると人間はヒーローに比べるとミクロのレベルになって、アンバランスになる。ウルトラマンは昭和40年代に生まれるべくして生まれたのである。
セットの大きさ、武器の種類、ロケ現場の選択、そうした諸条件を考えると、「『ウルトラマン』はアナログ時代の終りを代表し、『ウルトラセブン』はデジタル時代の黎明を表象している」(55頁)という。昭和41年と42年の間には、そういう溝があると実相寺さんは実感する。私はデジタル時代の申し子だったか。
本書に添えられている著者自身による挿画は素晴らしい。繊細でリアルなタッチに水彩で色がつけられている(文庫版はモノクロ)。ウルトラマンも、怪獣も、彼らがいないロケ現場の風景も、都電も郊外電車も、ことごとくが芸術作品である。一枚家に飾りたいほど。
また文章中のところどころに挿まれている、実相寺さんが監督した作品を中心とするウルトラシリーズの梗概を読むうち、無性にこれらの映像作品を見たくなってきた。
私が申し述べるまでもなく、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」のような初期作品には社会性や文芸性が濃厚で、現在でも見るに堪える作品群であるというのが定説である。今回このことを再認識した。レンタルショップで借りてきて子供と一緒に見ようか。
いや初期作品だけでない。実相寺さんは平成の時代になってからもウルトラマンシリーズに関わっている。「ティガ」や「ダイナ」の梗概も紹介されているが、これもまた惹かれるのだ。これらも見る価値はあるかもしれない。
それにしても「ウルトラマン」に登場する怪獣ジャミラは実相寺監督の作品だったのか(第23話「故郷は地球」)。いま思い出しても悲しい物語であった。でも子供の頃はそんな物語の悲劇性よりも、あのジャミラの姿かたちがおかしくて、いかり肩の友達に「ジャミラ」と渾名をつけたり、Tシャツの頭を出すところから顔面だけをのぞかせて「ジャミラごっこ」をしたり、そんな他愛もない頃のウルトラマンシリーズとの付き合いが思い出されるのである。