不案内が案内する大阪

森まゆみの大阪不案内

森まゆみさんの新著森まゆみの大阪不案内』*1筑摩書房)を読み終えた。
「大阪案内」ではない。大阪「不」案内である。「勝手がわからない」という意味の「不案内」は正確には案内の反対語ではないだろう。でも生粋の東京人で生まれ育った町を知り尽くしている森まゆみさんが、ほとんど知らない大阪を案内するのに「不案内」とはうまいタイトルである。吉田篤弘吉田浩美さんによる装幀も、カバーに逆さまに「OSAKA GUIDE BOOK」と刷られてあってシャレがきいている。
私は大阪という町の中心部を訪れたことがない。テレビで見た印象しかないから、梅田とか難波といった地名は知っていても、それらが大阪の町の中でどのような位置関係にあって、それぞれどんな特色をもつ町なのか、肌で感じたことがないのである。
本書の目次裏に訪問場所をマークした地図が挿入されているが、これを見てもピンと来ない。どこが大阪という町の中心なのかわからないのだ。でもよく考えれば東京と同じように核となるような町がいろいろなところに分散しているのだろう。本書を読んでよくわかった。
アメリカ村・法善寺横丁・天神橋筋・梅田・鶴橋・新世界・京橋・十三などなど、活気のある大阪の町々が、『谷根千』でつちかわれた手法、すなわちそこに住む町の人びとへの聞き書を駆使して活写される。
本書は『大阪人』連載の文章がもとになっている。本書の排列が連載順であるかどうか明記されていないけれども、連載順であると仮定して話を進めれば、最初のうちは、訪れた場所で見聞したことを東京での同じ事柄と比較するような記述が目につく。
たとえば中之島の公衆トイレにて。

入ると個室に「あなたが考えているよりももう一歩前へ」と貼紙がしてあった。さっきは「そのバッグねらわれますよ、バックから」という防犯標語があった。涙出る。東京じゃ考えられないな。(29頁)
しかし読み進んでいくうちにそうした視点が消える。いや、消えるというよりは、森さんの町にとけこんで現地の人に行なう精彩あふれる聞き書を読むうちに気にならなくなる。森さんご自身も、本書の一番最後にこう書かれている。
ずっと大阪を歩き回り、私は差異にも気づいたが、結局人間みな兄弟というべきか、共通点の方がずっと多いのだった。