知的好奇心のスイート・スポット

落語長屋の商売往来

矢野誠一さんの文庫新刊『落語長屋の商売往来』*1(文春文庫)を読み終えた。矢野誠一さんの本ほど、近ごろの自分の知的好奇心のスイート・スポットに見事にはまるものはない。
本書は落語に登場する様々な商売をそれぞれ表題に掲げたエッセイ集である。取り上げられた商売の登場する落語のあらすじ、見所、また、その噺を得意とした噺家の高座の姿、さらにそれにまつわる個人的な回想、商売に関する蘊蓄などが取り合わされた文章は絶妙である。
これまで矢野さんの本を何冊も読んできたが、一冊たりともハズレがない。それまで自分にはほとんど関心のなかったテーマの本であっても、ひとたび読むとその世界のとりこになる、そんな全幅の信頼を置ける書き手の一人なのである。
戸板康二の歳月』(文藝春秋)しかり、『大正百話』(文春文庫、旧読前読後2001/6/8条)しかり、『エノケン・ロッパの時代』(岩波新書、同前2001/9/23条)、『志ん生のいる風景』(文春文庫、同前2001/10/9条)、『藝人という生き方』(文春文庫、同前2001/11/18条)、『女興行師 吉本せい―浪花演藝史譚』(中公文庫、同前2002/9/2条)、『落語長屋の四季の味』(文春文庫、同前2002/9/26条)等々、すべてが面白かった。
矢野さんの語る落語の面白さに何度も触れながら、寄席通いへと動かないのが不思議でならない。むろん時間的・経済的事情は大きいけれど、ここでは問題にしない。
理由を考えているうち、こうではないかと思い至った。矢野さんの文章はディレッタンティズムに満ちている。ただしいわゆる“書斎の落語”派ではない。実体験に裏打ちされて滲み出るディレッタンティズムだ。
矢野さんの文章に触れて、そのディレッタンティズムを裏打ちしている寄席体験を共有したいという人と、実体験に裏打ちされたディレッタンティズムのほうに魅せられる人、大きく分けてこの二つの流れがあるのではないか。言うまでもなく私は後者に属するのである。
そうでなければ、まだ落語にはほとんど興味のなかった頃、自分のまったく知らない噺家の思い出を語った『落語家の居場所』(文春文庫)を面白く読めたはずがないのである。語られるテーマを知らなくても読者を不思議に惹き寄せる力がある、それが矢野誠一さんの本なのだ。