損な書名

愛についてのデッサン

野呂邦暢さんの『愛についてのデッサン―佐古啓介の旅―』角川書店)を読み終えた。野呂さんの文庫本を少しずつ集めているところであるが、読んだのは本書が初めてである。実は初めて買った野呂さんの本も本書なのだった。
本書の存在を知ったのは、沢木耕太郎さんのエッセイ集『バーボン・ストリート』(新潮文庫)である。二年前2001/9/18条に感想を書いているが、そこで最も印象的と述べている「ぼくも散歩と古本が好き」と題したエッセイのなかで、本書に言及されていたのである。
経堂にある遠藤書店と大森にある山王書房というふたつの古本屋を軸に、著者沢木さん自身と、植草甚一野呂邦暢との関わりについて書かれたとてもブッキッシュなエッセイだったため、『愛についてのデッサン』という書名が脳裏に深く刻まれた。幸いその直後綾瀬のデカダン文庫で本書を見つけ、喜び勇んで購入した。だから2年も放っておいたことになる。
さて本書は、古本屋を営んでいた父の没後、勤めていた小さな出版社をやめて家業を継いだ青年佐古啓介が主人公の連作小説集である。つまり「古本屋小説」なのだ。
野呂さんの作品のなかでは、向田邦子が激賞した『諫早菖蒲日記』(文春文庫)とくらべると取り上げられることが少ないもののようで、私も上記沢木さんのエッセイでしかお目にかかったことがない。もとは角川書店の『野生時代』に連載されていたということもあるせいか、エンタテインメント的な味付けがなされている。
主人公は古本屋を営むかたわら、詩人の肉筆稿に秘められた謎を解く旅、亡くなった大学時代の恩師の過去の女性関係を探る旅、父の秘められた過去の謎を解く旅に出かける。古本屋というブッキッシュな空間を舞台に、ミステリの味わいもある。こんな面白い小説が眠ったままなのは何とももったいない。
書名や、帯の「旅する青年の心象に託して、言葉の風景画家が鮮やかに写した愛の不条理と変容」という惹句でずいぶん損をしている。買ってから読むまで時間がかかったのは、これが一因でもある。
たしかに主人公啓介は作中様々な女性と邂逅し恋愛関係はことごとく成就しない。ただ見方によっては「一変」しうる小説であると思う。講談社文芸文庫にでも入れてくれないものだろうか。