寛の思想

人よ、寛やかなれ

金子光晴さんのエッセイ集『人よ、寛やかなれ』*1(中公文庫)を読み終えた。
本書は1973年に西日本新聞に原題「日々の顔」として毎日(?)連載されたエッセイをまとめ74年に刊行された同タイトルの著書に加え、関連するエッセイ数本を加えた文庫オリジナルエッセイ集である。中公文庫が今年から出し始めた「人生の一冊」というシリーズから刊行された。
読んでみるとこれがまた意外に真面目な内容で驚いた。「意外に」と言ったのには少し注釈が必要だ。そもそも金子光晴さんは、自分と同姓の文学者だからという単純な理由から興味を持ちだし、文庫の著作を少しずつ買い集めていた。
本来であれば、詩集や中公文庫の自伝から入るのが普通だろう。ところが私はこの手順を一切はぶいて最晩年の聞書金子光晴 金花黒薔薇艸紙』*2小学館文庫、旧読前読後2002/7/5条参照)から入ってしまったのである。ヒイッヒッヒッと笑いながら、八十になってもエロに血道をあげるエロ爺というイメージができあがってしまっていた。これではいけない。
ところで本書のタイトル「寛か」は「ゆるやか」と読ませる。「ゆるい」という言葉で想起する感じはふつう「緩い」だが、このなかに「寛大」という意味もあるようだし、そもそも「ゆるい」という語は和語だろうから、そこに「寛」が当てられても問題はない。そこに込められているのは、退廃的後退的思想ではなく、よりプラスの意味である。
タイトルからもわかるように、金子さんは忙しなく休まず動き出している世の中に対する警鐘を鳴らす。いやそんな煽動的ではない。そういう世の中にあって、「もう自分はこの歳だから寛く生きるよ。みんなもそうしたら」と飄々と言いのける。
著書全体のタイトルになったエッセイでは、日本人の競争意識の強さに触れ、論はさらに人間全体の利我的性格に及ぶ。それが戦争のような悲劇を惹き起こすのだから、ひとりひとりの精神生活の反省こそが悲劇をなくす根本である(でもそれは実現不可能だろう)と結ぶ。これはたぶん、金子さんの持論なのだろう。
連載最後の文章「随筆のこと」では、こんな一節で締めくくられている。「寛」思想がここに集約されている。

すべて楽観的に考えて、せせこましくなく生きることだ。じぶんも他人もいじめないことだ。