せいぜい手帖五十冊

夏彦の影法師

山本夏彦さんが亡くなって一年になろうとしている。私は山本さんの本はまだ数冊しか読んでいない。生前読んだのは一冊きり。訃報を聞いてから慌てて文庫著作を集めだし、その後何冊か読んだ。
一番最初に読んだとき、「おや?」と首をかしげた。二冊目を読んで「ははあ」と考え直し、三冊目で「これは…」と熱中した。中毒症状というのはこのことなのかもしれない。「大坂の陣的読書法」などと格好つけているものの、結局は「読み惜しみ」であり、優柔不断・臆病な性格が読書のやり方にも顔を出しているのだ。とはいえ目の前にまだ登るべき山が多く残っているという快感からは、容易に逃れがたい。
夏彦さんの長男山本伊吾さんの『夏彦の影法師―手帳50冊の置土産』*1(新潮社)が出たので購い、読み終えた。
伊吾さんは新潮社の編集者で、夏彦さんが写真コラムを連載していた『週刊新潮』を経て『FOCUS』編集長に就いた。同誌の終刊は伊吾さんが編集長のときだったという。オウムのサリン事件や酒鬼薔薇事件のとき、『FOCUS』編集長としてテレビ出演もしていたと書かれてあるから、たぶん私もテレビで見たことがあるのだろうと思う。夏彦さんに息子さんであることなど全然知らなかったのだが。
伊吾さんにとって夏彦さんは、ほとんど倅のことに関心を向けない父親だったという。坂本弁護士一家事件のとき麻原彰晃と伊吾さんが怒鳴り合っている場面をテレビで偶然見て、「あれは倅だけど、あいつ何やってるんだ」と周囲の人に尋ね、やっと倅が『FOCUS』の記者だということを知ったという面白いエピソードが紹介されている。
本書『夏彦の影法師』は、父の没後に遺された手帳の記述を紹介しながら、辛口コラムニスト山本夏彦の実像を明かした興味深い本であった。夏彦さんは日記をつけるかわりに手帳に日々の記録をしたためていたという。それが積もり積もって50冊。一年一冊としても50年分の記録だ。
夏彦さんは生前「人の一生はせいぜい手帖五十冊で、それは高く積んでも一メートル、平らに並べても一坪にならない」と常々言い、書いていたという。名言だなあと思う。そう思えば何だか気が楽になってきた。人生、せいぜい50冊なのだ。
夏彦さんはその持論どおり、五十数冊の手帖を遺した。メモが原文どおり引用され、伊吾さんの注釈がつく。その繰り返し。恋愛、闘病生活、妻との関係、息子との関係、交友、執筆生活、夏彦さんの人生が場面ごとに切り分けられ、綺麗に整理される。
ディズニーランド好き(ミッキーマウスと肩を組んだツーショット写真が掲載されている。はにかむような照れくさそうな顔がいい)、80歳を超えているというのに、電車で席を譲られるとカンカンになって怒り狂う、そんな生身の山本夏彦が行間から立ちのぼってくる。
先に「人の一生はせいぜい手帖五十冊」という名言を引用したが、本書を読んでいていまひとつ感銘を受けた言葉は次のものだ。

ロバは旅に出ても馬になって帰って来るわけではない。
この文句を書いたプラカードを掲げて成田空港を練り歩きたいと「徹子の部屋」で話し、またエッセイなどにも何度か書かれたらしい。私は自分がその「ロバ」だと思っているから、これで海外などに行く必要がなくなったと、ほっと肩の荷をおろした。「海外へ」という外部圧力がかかったとき、この言葉を出して抗弁することにしよう。
ご自身でも言われていたようなのだが、夏彦さんのエッセイは同じことの繰り返しが多い。「寄せては返す波の音」なのだそうだ。逆に言えばそれだけ自分の考え方がしっかりと固まっているということになる。
「波の音」といえば、本書の最後から2頁目に、夏彦さん10歳のときの作文が引用されている。これが10歳の子供が書く内容ではないのである。人生の辛酸をなめつくした86歳の老人が書いたと称してもほとんどの人に信用されるような堂々たる文章に驚いた。
あまりにすごいので、この7行分そっくり引き写したい誘惑にかられたのだが、長いということと、あるいは著者伊吾さんが本書の結末に配置するものとして周到に準備した文章であるかもしれないので引用は差し控えることにする。興味を持たれた方は直接本書を参照されたい。
最後に、巻末の「山本夏彦が出会った人たち」索引は便利。処女出版の『年を歴た鰐の話』の批評文を書いてもらう約束を小栗虫太郎に取り付けたという話はなかなか興味深い。