散歩と旅のあいだ

東京ディープな宿

「散歩」と「旅」はどう違うか。明らかに違うことはわかっていても、では違いを明確に説明せよと言われると、はたと困ってしまう。散歩は日常、旅は非日常。これが端的な違いだろうか。
東京散歩の達人の場合、散歩という行為に倦んだとき、次にどのような段階に進むのだろう。東京以外の都市に旅するのか。
いや違う。東京という対象を変えずに、対象を非日常的に捉える、すなわち「東京に旅する」という道を選択するもののようだ。川本三郎さんは現在『東京人』に「東京(郊外)泊まり歩き」を連載中だし、泉麻人さんは『東京ディープな宿』*1中央公論新社)を上梓された。
泉さんは同書のあとがきのなかで、旅と散歩の境界線について考えている。

東京在住者が23区内を散策しても「旅」とは呼ばれない。けれども、原稿書きなどのため都心のホテルにカンヅメになったとき、寝泊まりした翌朝に歩く銀座や赤坂は、散歩のときに見るのとは違った印象に映る。旅人の感覚である。
本書はその感覚を味わおうという企画である。書名に「宿」とあるように、旅人感覚で歩きなれた町を観察するいっぽうで、気になっていた宿泊施設にも重点が置かれる。
荻窪・旅館西郊、西池袋・昌庭之家、三田・東京讃岐会館、人形町・ホテル吉晁、神楽坂・和可菜、九段下・九段会館、東京駅・東京ステーションホテル、池之端・ソフィテル東京などが選ばれた。
このうち、人形町のホテル吉晁は、川本三郎さんも定宿にしているところに違いない。「人形町ウィークエンド」(『ちょっとそこまで』講談社文庫所収)というエッセイのなかで、「仕事から離れて土曜日の夜、好きな本を一冊持って一人ホテルに泊まりに行く」「私にとってささやかな贅沢」「私にとってはひそやかな隠れ里である。最近は土曜日にこのホテルに行くのを楽しみに一週間の仕事をしているという状態」と言わしめる「Kホテル」がそれ。
ところで本書の端々に登場するのが松本清張。清張の小説に登場する「悪徳高級官僚」の別宅がありそうな場所、悪徳高級官僚がバーのマダムを連れ込む宿。そんな隠微な雰囲気の宿を泉さんは目指す。
昭和30年代を求める点も共通する。二人の年齢ははちょうどひと回り違う。『東京人』今年5月号(特集「東京なつかし風景」)で企画された二人の対談「こんな東京があった!」を読み返してみようか。