阪神は民族の心

「あと一球っ!」の精神史

昨日永井良和橋爪紳也南海ホークスがあったころ―野球ファンとパ・リーグの文化史』*1紀伊國屋書店)に触れたなかで、その先駆的著書として、井上章一さんの阪神タイガースの正体』*2太田出版)をあげた。
この本が出たのは一昨年のこと。阪神ファンに申し訳ないが、優勝は非現実的だった。だが今年は違う。優勝が決定的になったいま、井上さんが新しく阪神愛を語る本を出した。『「あと一球っ!」の精神史―阪神ファンとして生きる意味』*3太田出版)である。
前著が歴史学的な方法論を駆使した実証的研究の書だとすれば、本書は語りおろしのようなくだけた文体で、個人史をからめたより湿っぽい心情吐露の内容である。阪神を愛してやまない井上さんの気持ちが強く伝わってくる本だ。
井上さんは1962・64年に優勝した頃に阪神ファンになったという。理由は「強いから」。たんなるアンチ・ジャイアンツ的心理で阪神ファンになったのではない。強いからファンになる。ファン心理としては真っ当な筋道をたどっている。以来40年、井上さんは阪神に裏切られながら阪神という球団の体質を身に染みこませる。
昨日も触れたが、二リーグ分裂時、阪神は巨人についてセ・リーグに属した。巨人の「コバンザメ」(これは井上さんの表現である。念のため)的地位に甘んじる。
阪神は、プロ球団を持つ関西の他の電鉄会社(阪急・近鉄・南海)と比べると格段に規模が劣った「中小企業」なのであり、利益優先のえげつない体質がある。

分裂時に毎日に引き抜かれた若林投手が球団社長に挨拶に行った。そのとき球団社長は昇級辞令を彼に手渡した。これは引き留め工作ではなく、ベースアップしておけば移籍金が高くとれると考えたからだという言い伝えが残っているという(20頁)。
井上さんはだから、来年ひょっとすれば伊良部は他球団に高く売り飛ばされるのではないかと疑う。阪神ならそういうことをやりかねない。
このようなことを言う私の口調に、なんと冷淡なことを言うやつだと思うむきもあるかもしれません。井上はほんとうに阪神ファンと疑う人もいるかもしれない。
しかし、それは私が冷淡なんではなく、あの球団が私をこんなふうにしたんです。
阪神ファンになったばかりに、根性がねじ曲がってしまった。「変態」「悪性のマゾ」と自嘲する。弱い阪神を受け入れ「敗者の美学」に酔う。
そんな弱い阪神に慣れた井上さんは、今後阪神が強くなってV2、V3と優勝を重ねる姿を想像して、それまで形成されてきた性格を絶対にかえるよう努力すると宣言する。なんと涙ぐましいことか。
繰り返すが、かつて関西における巨人のライバル球団は南海であった。二リーグに分裂したとき、南海は巨人とは別リーグに属した。阪神は巨人についた。いま巨人の神通力も薄れ、セ・リーグも斜陽になりつつある。巨人渡邉恒雄オーナーをはじめセ・リーグ各球団は阪神浮上待望論を唱え、それが現実となった。
結局巨人と阪神はグルだ。井上さんはそこまで邪推する。こんなことまで考えすぎるのも阪神のせい。倒れる者(セ・リーグ、巨人)は藁をもつかむ。阪神はその藁であり、また、巨人とグルなのだから正真正銘の関西代表でもなく、あくまで仮想の世界、ファンの空想の世界のなかで関西を象徴する球団にまつりあげられたのだとする。
その阪神が仮想的関西代表球団になる過程においては、テレビやラジオ、新聞などの情報メディアとの関係が強く作用している。井上さんはその点をおさえることも忘れない。『南海ホークスがあったころ』といい、現在プロ野球を語る方法としてメディア論はもっとも有効な手段だといえるのかもしれない。
Tigersの日本語表記は正しくは「タイガーズ」である。なのに「タイガース」と澄むのはなぜか。カープが当初カープスと称して誤りとの指摘を受け訂正したのとは異なり、なぜ阪神は間違いの読みを適用したまま押し通し、ファンも知らぬふりをするのか。
阪神だけなんです。英語のルールにしたがっていないのは。ほかの球団は、グローバリズム、英語帝国主義の軍門に下っている。ひとり阪神だけが、うったえかけているわけです。「英語がなんぼのもんじゃい」「英語なんぞでけへんでもかまへんわい」と。そう、民族の心を代弁しているのは阪神なんやってね。(75頁)
阪神は民族の心”という次元まで理屈をこねあげる井上さんの阪神愛には頭が下がる。