野球を「見る」面白さ

南海ホークスがあったころ

前々からの持論であるが、巨人ファンと天の邪鬼もしくはひねくれ者は両立しうる。その例が私自身である。
小学生の頃、男の子はほとんどプロ野球球団の帽子をかぶった。私の育った東北地方は巨人戦しか中継しない土地柄だし、デパートなどで売られている帽子も巨人の黒い帽子がもっとも多い。私は子供の頃からの巨人ファンであったが、巨人の帽子をかぶる通弊をはなはだしく嫌った。
だからといってライバル球団阪神や、当時強かった広島・中日などの帽子も選びたくない。なるべく誰もかぶらない球団のものがいい。候補はいくつかあった。日本ハムの青と赤の帽子。あるいは南海の緑の帽子。太平洋の紫色の帽子。
結局選んだのは、紺色にWの白い文字が刺繍されている大洋ホエールズのものだった。迷ったすえ地味なものを選んだと思われそうだが、大洋はその数年前まで緑とオレンジのカラフルなユニフォームを着けており、それが印象に残っていたのである。
カラフルといえば、南海ホークスのあざやかな緑色も印象深い。しかしながらホークスがどのようなチームであるのか、小学生時代の私にはほとんど記憶が残っていない。高校時代に流行したプロ野球のカードゲームで南海の久保寺や立石・片平、山内トリオらの渋い選手を監督として起用する(そして負ける)ことで南海はじめパ・リーグをおぼえた。
永井良和橋爪紳也南海ホークスがあったころ―野球ファンとパ・リーグの文化史』*1紀伊國屋書店)は、南海ホークスというチームの歴史をたどって大阪の中心球団として位置づけなおし、ひいては南海の属したパ・リーグというプロ野球リーグの戦略とその蹉跌を描き、また大阪球場と都市・沿線開発を都市史的に、ファンの応援行動の成立を社会学的に分析するという、硬派なプロ野球論である。
帯には「スタジアムという空間、応援という行動――/ファンの視点から描く画期的な日本戦後史/巨人中心の野球史では見えないものがある!」と惹句が記される。日本プロ野球における“巨人中心史観”はおろか、関西圏における“阪神中心史観”をも崩す刺激的な本であった。
阪神中心史観”の批判的検証は、すでに井上章一さんの『阪神タイガースの正体』(太田出版、感想は2001/4/28条参照)のなかで展開されており、本書も基本的にその考え方を継承している。
少なくとも1950年代における巨人の最大のライバルは南海であった。井上さんは、日本シリーズにおいて杉浦が四連投四連勝で宿敵巨人を下し、伝説の「涙の御堂筋パレード」が行われた1959年に南海のターニングポイントを置いている(『「あと一球っ!」の精神史』太田出版)。南海は巨人を倒すという使命を担い、選手たちもファンもそのために戦い、応援していたのである。
そのような歴史を知って初めて、1948年に起きたいわゆる「別所引き抜き事件」の事の重大さが理解できるし、また長嶋茂雄入団をめぐる南海と巨人の壮絶な綱引きも納得される。
南海という球団が先進的な戦略をもっていたことも本書を読んで初めて知った。スカウトをいち早く導入したのは南海であり、また、二軍(ファーム)による選手育成システム、スコアラーの設置なども南海が先鞭をつけたのだという。
南海の二軍練習場は中モズ球場というが、たしか私の子供の頃はまだ存在したはずで、聞き慣れない響きをもつこの地名と書物のなかで再会し、ひどく懐かしかった。
南海の本拠地大阪球場もまたスタジアム空間として先進的な場所だった。球場だけでなく周囲に運動施設を持ち、また球場内にもさまざまな文化的スペースや商店(古書街もあった)を設けたアミューズメント・パークであったという。本書では、大阪球場のほか、藤井寺や西宮の各球場と沿線開発にも目配りがなされている。
副題の「野球ファンとパ・リーグの文化史」に関係する記述も興味深い。野球ファンの応援のあり方について、学生野球・都市対抗野球も視野に含めて、その変遷を丹念にたどっている。そこでは、応援スタイルの先駆的存在としての広島ファンが浮き彫りにされていることが特筆できる。
いまでは当たり前になっているトランペットによる応援を普及させたのは広島の応援団であり、それは1975年の初優勝のときだったという。広島の応援団はほかにも、選手の名前を連呼するスタイルを創出した。さらに山本浩二だけ他の選手とは違った特別なかたちで応援するために曲が演奏され、これは現在につらなる選手別応援歌の発祥だという。
そればかりでなく、交互に立ったり座ったりしながらメガホンを振り上げる(本書ではスクワットと表現)やり方も広島だったとは。
いま「メガホン」と書いたが、本書では、拡声の道具であったメガホンが、手で叩いたり振り上げたりする応援道具として利用され、最終的に「応援バット」や「V字メガホン」(真ん中から二つに割れているもの)として、拡声する用をなさない道具へと改良(?)される過程も詳しく跡づけられている。
これらのメガホンなど応援グッズには球団のロゴマークが入り、ファンがこれらを購入すれば球団にロイヤリティ収入がもたらされる。
わたしたちは、プロ野球の応援といえば、揃いのレプリカ・ユニフォームを身にまとい、メガホンを持ちながら体を動かし声を上げるというスタイルを想起するが、これらのスタイルはすぐれて当世的なものであり、またこれら応援行動は一種の「商品」として球団の収入に組み入れられるように開発されたことを知る。積極的に応援行動をマーケットに取り入れたのが福岡ダイエーだと指摘されている。
セ・リーグパ・リーグに分裂したとき、読売新聞率いる巨人(巨人ファンとしては「読売」とは呼びたくない)と、毎日新聞率いる毎日オリオンズがそれぞれのリーグの盟主と擬された。関西の電鉄球団(阪急・南海・近鉄)は毎日側、つまりパ・リーグに所属した。阪神も当初パ・リーグにくみする約束をしていたが、裏切って巨人側についたのだという。
その後パ・リーグセ・リーグに比べて急速に人気を失ってゆく。原因は、読売新聞が推し進めてきたテレビに代表されるニューメディアとの結合という戦略を軽視したゆえだという。
テレビはプロ野球のファンの質を決定的に変えた。テレビ観戦をベースにした野球経験者が多くなるということは、野球を間接的に、しかも見る楽しみに偏って享受する層が増えたことを意味する。
直接プレイする楽しみと、見る楽しみ、この二つの経験の混在については、平出隆さんの『白球礼賛』(岩波新書)が引用されている。野球を「見る」にしても、テレビを通すのと実際に球場におもむいて白球を自分の目で追うのとは格段の差があると思う。
著者は、最近のドーム球場が、たんに野球を見るということだけでなく多角的利用が可能なように設計されたために、「野球を直接〈見る面白さ〉は、球場のなかでさえ覚束ないものになりつつある」と批判する。球場で野球を見ることが面白さにつながらない。そんなことがあっていいのだろうか。
球場に入り、階段を上ってスタンドに出たときに目の前に広がるグラウンドの広大な空間。この空間を目にする瞬間のワクワク感は何者にも代えがたい。しかもそれがドームでなく野外であればなおさらだ。このときに味わう興奮、野球がそれを失ったらおしまいだと思う。