句会への憧れふたたび

友あり駄句あり三十年

俳句から遠ざかってしばらく経つ。といっても俳句を作ろうという気持ちで燃え上がっていたのは去年春頃からのわずかの期間だから、「遠ざかる」などという言葉を使うのは間違いで、客観的に見れば去年春頃に一時的に俳句に近づいたというのが正しい。
でもふたたび近づきたいという気持ちがないわけではなく、その気持ちはここ数日で一気に高まった。
きっかけは、東京やなぎ句会編『友あり駄句あり三十年』*1日本経済新聞社)を読んだことである。すでに本書については、書友・戸板サイト主宰ふじたさん(id:foujita)の意を尽くした紹介がある。
東京やなぎ句会は、入船亭扇橋(俳名光石=宗匠)・永六輔(六丁目)・大西信行(獏十)・小沢昭一(変哲)・桂米朝(八十八)・加藤武(阿吽)・永井啓夫(余沙)・柳家小三治(土茶)・矢野誠一(徳三郎)・故江國滋(滋酔郎)・故神吉拓郎(尊鬼、のち拓郎)・故三田純市(道頓)の12名が会員で、発足は1969年、本書は30周年を記念してつくられたものだ。
会の名前は、発足当時宗匠の入船亭扇橋師匠が二つ目で柳家さん八を名乗っていたことに由来するという。
それにしてもこのメンバーの顔ぶれはどうだろう。壮観である。永さんや加藤さん小沢さんのような芸能人、小三治米朝師匠といった落語家は別にしても、私が彼らを知り著作に親しむようになったきっかけは、戸板康二さんの文章であるに違いない。その戸板さんはやなぎ句会に招かれたゲストの最多招待回数保持者である。
本書は、第352回目の句会の実況中継、各会員の自選三十句、「俳句と私」「わが愛しの駄句」というエッセイ、句会三十年の記録から構成されている。どの会員の口からも出る発言に、この句会は俳句を作ることよりも句会に出て仲間と駄弁を弄するのが楽しみであるというものがある。実際実況中継を読むと、作句の時間は楽しいおしゃべりばかり。
以前小林恭二さんの『俳句という遊び』(岩波新書、02/7/9条参照)を読んだとき、俳句は関係性の濃い文学だという言葉を聞いて深く同意したが、このやなぎ句会の記録を読んでその感をさらに強くした。
実際に他人と相対する句会を親しい人たちと開いてみたいものである。そうすれば俳句の楽しみもいや増すのではあるまいか。