三ヶ月だけ同時代人

浮かれ三亀松

『江戸っ子だってねえ―浪曲師廣澤虎造一代』『江戸前の男―春風亭柳朝一代記』(新潮文庫)の刊行後、著者の吉川潮さんは、「深川に住む五十代の男性読者」から「江戸っ子芸人三部作の最後に、深川生まれの三亀松はどうか」という手紙をもらった。これが『浮かれ三亀松』*1新潮文庫)を執筆するきっかけになったという。
この読者が、二作が出た時点で勝手に「江戸っ子芸人三部作」と規定してしまっている話の面白さもさることながら、音曲師柳家三亀松の名前を出してくれなければ『浮かれ三亀松』は生まれなかったわけで、感謝しなければなるまい。本書が文庫新刊として入ったので、“三部作ファン”としてさっそく購入して一読した。
『江戸っ子だってねえ』は2002/10/1条で、『江戸前の男』は今年3/10条でそれぞれ感想を書いた。いずれも評伝小説として傑作で、500頁を一気に読ませる面白さが備わっていた。“三部作”の掉尾を飾る本書もその例外ではない。なぜこうも面白いのか。
廣澤虎造・春風亭柳朝、そして柳家三亀松という江戸っ子芸人の華やかな、そしてハチャメチャな生涯の面白さが根底にあるとはいえ、やはり彼らの挿話を殺すことなく物語にはめ込み、彼らの一生を余すことなく描ききった吉川さんの力量に負うところが大きい。
読みながら何度もこの面白さの原因を考えてみた。
以前『江戸っ子だってねえ』の感想で書いたごとく、著者の吉川さんが自らを消して主人公を前面に押し出す透明度の高さがひとつ。事実を正確に記す実証的姿勢もあるに違いない。
加えて、さりげなく記される芸人世界の習俗に関する知識が、わが知識欲を満たしてくれることもある。たとえばこんな記述はどうであろう。

膝の前に扇子を置く。扇子の向こう側がお客様、こっち側が芸人と一線を画すのである。これを幇間の世界で「結界」という。(45頁)
大阪の演芸場は東京の寄席と異なる習慣があって戸惑うことが多い。楽屋で働くのは東京では前座の落語家だが、大阪ではお茶子さんと呼ばれる女性である。東京の客の芸人への祝儀の渡し方は、袋に入れて楽屋へ届けるのが常識なのに、こっちでは客席で札を出す。それをお茶子が集め、竹にはさんで高座の前に出しておく。客席からは高座の芸人にいくら祝儀が集まったか一目瞭然で、多ければ多いほど人気があることになる。(125頁)
さのさ節は壮士演歌として流行した法界節が花柳界や寄席で三味線歌謡に発展した俗曲の一種である。「さのさ」とはもともと民謡の囃子言葉で、最初の「さ」は「様」の転化で「あなた」、「の」は接続語、最後の「さ」は「さあ、どうですか?」という疑問文と解釈すると、さ、の、さ、の三語で「あなた、どうですか」との意味になる。(154頁)
とはいえ最後の「さのさ」と言われても、私はまったくピンとこない。三部作でも、廣澤虎造は知らずとも浪曲はイメージできた。また春風亭柳朝の落語の世界もビデオで接したことがあった。
ひるがえって柳家三亀松という名前は、わずかに耳にしたことはあっても、どんな芸人だったのか、まったく知らないのである。しかも彼の得意とした都々逸やさのさの世界と来たらほとんど無縁の世界。そんな人間でもむさぼるように読み進むことができるのだから、三亀松という芸人の破天荒ぶりは群を抜いている。
寄席を見に来た宝塚歌劇団一行の一人を見そめ、終わったあとに食事に誘い翌日にプロポーズしてしまう(しかも相手はそれを受けて結婚してしまう)という結婚の馴れ初め話、鍼に凝って花柳章太郎の「主治医」になってしまったり、練習台として鶏や犬に鍼を打ち、妊娠中の犬を流産させてしまう。また投網に凝ったときには池之端の自宅そばにある不忍池で投網を打つ。ヒロポン中毒の頃は元気のない山羊や、ボラやハゼ、クロダイなどの魚にまでヒロポンを注射する。
これらのエピソードの無類の面白さで、三亀松を知らない私は一気に三亀松という人物に魅惑された。
吉川さんの“三部作ファン”にとって嬉しいのは、これまでの二作に登場した廣澤虎造・春風亭柳朝の二人が「ゲスト出演」していることだ。もちろん三人とも生きた時代が重なる寄席芸人であるわけだから、それぞれ何らかの付き合いがあったことは事実なのだろうが、とりわけ東北巡業で柳朝(当時林家照蔵)と出会って意気投合して飲む場面などにはファン心理をくすぐられる。
一世一代の人気芸人三亀松は昭和43年1月20日に亡くなった。私の人生とかろうじて三ヶ月だけ重なっている。そう思ったら急に親近感が沸くとともに、新内・都々逸やさのさを生で聴いてみたいという気持ちが高まってきた。