人間観察家としての戸板康二

泣きどころ人物誌

戸板康二さんの『泣きどころ人物誌』*1(文春文庫)を読んだ。「泣きどころ」とは「弁慶の泣きどころ」の「泣きどころ」のことであり、弱味、ウィークポイントの謂いである。
「後記」によれば一回15枚のポルトレであり、「泣きどころ」という切り口でまとめられている点、うまい発想だと思わずにおれない(編集者の発案とのこと)。
同じく「後記」によれば、この時点で戸板さんは代表作『ちょっといい話』を三冊公刊しており、本書はその延長線上に位置づけられる作品ということになるだろう。私はこの系統の著作が、戸板さんの人となり、さらには彼の仕事の特色を論じるさいの重要なポイントになるだろうと考えている。
本書には、古くは三遊亭圓朝、新しいところでは著者より年下の三島由紀夫まで、24人の人物が「泣きどころ」を中心に取り上げられている。「後記」には、このうち著者が直接会ったのは三島由起夫、天津乙女岡田八千代田中絹代、田村秋子、舟橋聖一小宮豊隆中村吉右衛門の8人のみだとある。
これを足がかりに、本書で取り上げられている人物と戸板さんの「距離」について、次のように整理することができるだろう。

  1. 戸板さんが全く会ったことがない人物
  2. 直接会ったことはないが、対象の人物を直接知る肉親・先輩・知人を通して挿話を聞くことができた人物
  3. 実際に見たことがある(あるいは同時代人である)だけで、親しい間柄にはなかった人物
  4. 直接謦咳に接することができた、ないし親炙した人物

前記の8人は4に属するわけだが、その他ではたとえば1には三遊亭圓朝・齋藤緑雨・尾崎紅葉石川啄木ら、2は市川九女八・松井須磨子泉鏡花ら、3は三浦環溝口健二・松旭斎天勝らを分類することができる。
通読し、上記のような分類を行なったうえで、きわめて大雑把な把握にすぎないが、私が読んで面白かった順番に並べ換えれば、4-2-3-1の順番になる。距離との関係でいえば3と2が逆転しているのは、戸板さんの評伝の方法の根本が「挿話主義」だからだろう。
ここで一つ思い出すことがある。田辺聖子さんの『花衣ぬぐやまつわる……』(集英社文庫、感想は7/21条参照)において、田辺さんは本書に収録されている戸板さんの「高浜虚子の女弟子」に触れている。そこでは杉田久女の人物像について虚説を拡大することになった吉屋信子の伝を全面的に信頼していることが批判されている。
戸板さんは、田辺さんが強く斥ける吉屋説について、「現存する久女の資料としては、この吉屋信子の聞き書が、もっとも信憑性が高い」と評価し、それに拠りながら虚子と久女の関係(虚子の「泣きどころ」としての久女)について述べている。
虚子の場合前記分類でいえば1に属する。つまりここからわかるのは、戸板さんによる人物スケッチと文献積み上げ型の相性の悪さである。あくまで自らの実体験にもとづく人間観察とそこから派生する挿話生成こそが、戸板評伝の本質なのである。
2に属する林芙美子の場合、戸板さんは彼女と直接会ったことはなかった。そこで引用されているのは、芙美子の作品を多く映画化した東宝のプロデューサー藤本真澄の話である。
ここで戸板さんは芙美子と藤本のつながりについて、「芙美子は独身ですごした藤本にとっては、何となく、たよりたい女性であったらしいと、親しかった私は観察していた」と書いている。直接会ったことはなくとも、知人を媒介に鋭く対象を観察する目が、戸板さんには備わっていたのである。
「後記」には、本書各章を執筆するにあたり、「その人物に関する文献をにわかに読むということは、一度もなかった。むろん叙述に疎漏があってはいけないから、その都度、わきに伝記や人物事典を置いて確認はしたが、ほとんど前から知っていた話を書いたのである」と述べられている。
だから本書の1に属する文章を必ずしも厳密なる「文献型」とすることはできないが、少なくとも自らの人間観察からほど遠い地点にあるということだけはいうことができる。
戸板さんの代表的評伝久保田万太郎(文春文庫、感想は2001/1/30条参照)が実証タイプの人間が採用しがちな編年的叙述を避け、テーマごとの輪切りの構成をとったのも、上記のような方法論が根底にあったからに違いない。
とすれば今ひとつの代表作『松井須磨子―女優の愛と死』(文春文庫)がどうであるか興味深いところであるが、未読なので今後の課題となる。