面白率100%

獅子文六の小説はなぜことごとく面白いのだろう。『てんやわんや』『コーヒーと恋愛』『自由学校』の三作に加えて、今回読んだ『青春怪談』新潮文庫)も期待を裏切らなかった。四分の四、いまのところ100パーセントの面白率である。
今回は本書を原作とする同名の映画から先に観た。ストーリーをまったく知らないで映画を観たのだが、これがめっぽう面白かったのである。しかも映画は原作に忠実なのではないかと直感した。
映画の巧妙な人物配置とそれを十二分に生かしたストーリー展開、それによる尋常でない面白さは、きっと原作もそうだからに違いない。観たその日のうちに原作を読み始めた。
物語は、ともに伴侶を亡くした中年男女とその娘・息子という二組のカップルの恋愛・結婚が軸になる。合理主義者でムダが嫌いな青年実業家の卵宇都宮慎一と、その母親で、49歳とは思えないような若々しさで少女のような感受性をもつ蝶子の母子、兄の経営する会社の重役として株の配当と手当で悠々自適の生活を送る奥村鉄也と、その娘でバレリーナを目指す姉御肌の千春の父娘が四人の主人公だ。
映画では慎一を三橋達也、蝶子を轟夕起子、鉄也を山村聰、千春を北原三枝が演じた。適役としかいいようがない。慎一の合理主義は、たとえばこんな描写で表現される。母との食事の場面。

彼だって、ジュースが、べつに美味というわけではないが、また、別にマズいとも思わない。味覚に捉われるのは、合理的な生き方ではない。男の自炊に、これほど軽便で、栄養に富む調理は、他に少ないと知っているからに過ぎない。また、よく噛むことが、最も必要であるから、ムダ話の如きものを、行なおうとは思わない。一切無言で、モグモグやってる。(「夜風」)
映画ではこのK大出の美貌の貴公子に触手を伸ばす熟女船越トミ子と、芸者筆駒とのからみはだいぶ省略されている。むろん重要な脇役として登場するが、原作ほどではない。また、書名にある「怪談」の由来となっている部分では、原作はかなり露骨で具体的だ。映画ではこの部分がさらりと進行するかわりに、山村・轟カップルのユーモラスなやりとりが際だっている。
戦後社会、若い男女をチクリと刺す批評精神も健在。獅子文六に「外れ」はあるのか。ますます注目である。