裏が表で、表が裏で

贋日記

先日村松友視さんの『鎌倉のおばさん』(新潮文庫、以下前作)について書いたおり(7/4条)に触れたとおり、村松梢風は実家のある清水に妻を残し、彼女に体が不自由な実母の世話を託して自らは鎌倉に「梢風居」を構えて愛人である絹枝と二人で住んだ。梢風は時々清水にやってきて母の様子を見に来るというきわめて変則的な生活を送っていたのである。
祖母が亡くなったとき、実母の世話を押しつけて自分は愛人と住むという引け目が消えたため、梢風の顔は意外にも明るかったというエピソードが印象深い。
長男の息子である友視さんは清水の家で祖母と暮らす。前作にもあるが、鎌倉の家にはじめて連れられていったのは小学校四年のときだった。
鎌倉の家でのハイカラな暮らしに憧れを抱いた少年は、老いた祖母と暮らす清水での生活に対し心理的に距離を置き、自分の足場の重心を鎌倉の家に置くようになる。「鎌倉の子供」「鎌倉に住む文士の子供」というフィクションをつくりあげ、自尊心のより所にしたのである。
『贋日記』*1河出書房新社)は、前作刊行後『三田文学』に連載開始され、昨年単行本として刊行された。前作の続篇というよりは、表裏をなす作品と言ったほうがいいだろう。
清水での祖母との生活が振りかえられ、大学入学による一人暮らしを経て祖母との死別、前作にもあった祖母の遺髪を切り取るシーンで物語は幕を閉じる。本来であれば梢風の正妻たる清水での暮らしが表であるはずなのに、文士梢風のなかでは鎌倉が表になり、清水は完全に裏に追いやられてしまう。『鎌倉のおばさん』の裏の物語なのである。
したがって前作との間で相互にエピソードが重複する。話があるところでは交わってまた離れてゆくという波の繰り返し。
前作から考え方が変わった点もある。それもかなり重要な場面だ。先日も触れた、実母の生存を「鎌倉のおばさん」絹枝から告げられたシーン。友視さんは、この事実を祖母でなく絹枝から告げられたことは、自分の人生の重大な局面を彼女にいじられたという認識を持っていた。「ネジを放り投げられた」というわけだ。
ところが本書ではそこに新たな推測が加わる。実は祖父梢風が絹枝をして言わせたのではなかったかというのである。そうなると、友視さんの人生は祖父・祖母との関係の間で捉えなおされることになる。
裏が表にくるりとひっくり返った瞬間だった。