病気との付き合いはむずかしい

淳之介養生訓

病気というものは、きわめて個人的な事柄に属する。いくら病気の辛さを他人に訴えても、訴えた本人の気持ちを100%理解してもらうことは難しい。
では問診医療なんて意味がないではないかという問題になるが、これは私の考えの及ぶところではない。ひとまず以下の話を「病気のことを文章で伝えること」に限定したい。
上に書いたようなわけだから、自分の病気のことについて文章に書くことにどのような意味があるのか、疑問を持たざるを得なくなってくる。結局は自己満足なのではないかと思うのである。
そうはいいながら、自分の辛さを他人にわかってもらいたい、ひるがえって他人の辛さがどんなものなのかも知りたい。そうした考えが交差するところに「病床文学」あるいは「病気エッセイ」というものが生じるのだろう。
吉行淳之介さんは若い頃から喘息もちで、また結核で肺の一部を切除するなどの大病を経験している。病人の気持ちはその病気にかかった人しかわからない。そうであるとすれば、ちょっと語弊がある言い方になるけれど、文章力のある「文士」吉行淳之介に天はよくぞ様々な病気の経験をあたえたもうたといえるのである。
吉行さんの病気エッセイが『淳之介養生訓』*1(中公文庫)というかたちでまとめられた。
表題に採られた連作エッセイは単行本に入っているのだろうか。1966年から70年にかけ季刊誌に連載されたものであり、それまでの自らの病気の体験や、そこから生じた死生観などが一種のユーモアに味つけされて綴られている。
しかしこのとき吉行さんの年齢はまだ40代前半に過ぎないのである。執筆当時と現在とは平均寿命が違うとはいえ、この年齢から吉行さんは病気のことを語るプロなのであった。
これだけ長い間日常的に病気と共生していると、考え方も病気のアナロジーになってしまうらしい。丸山ワクチン不認可の問題(いったん厚生省が無効と判断したために引けなくなってしまった)と「四畳半裁判」を並べて論じるあたりにその真価が発揮されている。
現代において「四畳半襖の下張」が刑法175条に該当しないことが明らかにもかかわらず、いったん有罪になっている同書を公然と活字にしたことでプライドが傷つけられたのが真相だと喝破する。
病気に罹らないにこしたことはないが、「死」を達観できる年齢まで待ってもらいたい、そう願わずにはおれない。