大正の時代精神

白樺たちの大正

関川夏央さんは、谷口ジローさんとの共作『「坊っちゃん」の時代』五部作(双葉文庫収録)において、時代の閉塞感に悩める明治人の群像をたどった。そこで主人公となったのは、鴎外・漱石二葉亭四迷幸徳秋水石川啄木ら江戸末期から明治初頭に生まれ、怒濤のごとく流れ込んだ西欧文明と真っ正面から衝突した人たちである。
関川さんは、上記の人々と明治15年以後に生まれた人々とを截然と区別する。後者は幼少時に漢学の訓練を受けなかったため、「西洋の文物を白紙上に吸収した」のである。彼らが主導した文学潮流が「白樺派」である。志賀直哉明治16年武者小路実篤が同18年、柳宗悦が同22年、木村荘太・里見紝が同21年。
関川さんの新著『白樺たちの大正』*1文藝春秋)は、このうち武者小路実篤志賀直哉の二人の生き方を縦糸に、「大正の時代精神」を描き出す試みであった。
関川さんにいわせれば、明治という時代(精神)は、明治38年5月、日露戦争後のポーツマス講和に反対した民衆が新聞社などを焼き打ちしたいわゆる「日比谷焼打ち事件」を境に事実上終わったという。
日比谷事件の主役は大衆であった。このときの大衆は国家の意思から乖離し、自律性を持った。日本の国家的自我と国民個人個人の自我が分裂し、大衆化社会に入る。これが大正の時代精神であった。
こうした時代精神を見きわめるために選ばれた対象が、武者小路実篤が宮崎につくった「新しき村」である。実篤の空想的楽観主義から生じたこの一種のコミューンの離合集散が、実篤と彼の奔放な妻房子の動きを中心に丹念に追いかけられる。
いっぽうで、社会改造にもコミューンにも興味を持たなかった志賀の「暗夜行路」「小僧の神様」といった作品から社会構造の変化を冷静に見つめた彼の新しさを読み取る。
『「坊っちゃん」の時代』の大正編という見方が先入観としてあるからだろうか、読みながら頭の中には谷口ジローさんのイラストがどうしてもイメージされてしまう。
実際関川さんの書き方は映像的(漫画的・劇画的)である。それがもっとも意識的に発揮されているとおぼしいのが、折返し点にあたる第五章「シベリア出兵と日本社会の変質」である。
他の章とくらべても分量的に多い第五章では、シベリア出兵から米騒動という社会の大きなうねりのなかで、軍の密命を帯びて諜報活動のためロシアに渡り、軍の朝令暮改ぶりに翻弄されながら最終的に見捨てられた石光真清の姿と、日本に留学したものの日本語の習得に手間取り官立学校合格を果たせなかった周恩来大正デモクラシーの旗振り役吉野作造、さらに河上肇正力松太郎の姿が並行的に描かれる。
大阪朝日新聞の発禁事件で同社を退社せざるを得なかった記者丸山幹治の息子として、丸山眞男がちらりと登場するのも『「坊っちゃん」の時代』的である。
このほかの章でも、千家元麿勝本清一郎・松本健次郎(九州工業大学創立者)・辰野金吾有島武郎・波多野秋子・魯迅・周作人・滝田樗陰・平野謙・真杉静枝といったような、一篇の主人公にふさわしい個性あふれる人物たちが大正という時代のなかでどう生きたのかがたどられている。
個人的に興味深かったのは第三章「学習院という空間」だった。戦前における学習院という教育機関の位置づけがよくわからなかったのだ。
白樺派の多くは学習院出身者で占められていたのだが、文部省管轄でなく宮内省管轄ということから独自の方針とリベラルな校風をもち、のびやかな大正時代的人間を育んだこの学校の特殊性が本書で明らかにされていて、なるほどと思った。
またこの流れで、学習院と対置される慶応出身者として取り上げられている勝本清一郎に惹かれた。関川さんは勝本を「異常な執着心を備えた、いわば「オタク」であった」と規定し、その完璧主義ゆえ著作はごく少ないが、代表作には『座談会 明治文学史』『座談会 大正文学史』があるとする。そういえば先だってこれらは岩波現代文庫に収められたはず。

彼は、大正以来日本に流行したすべての思想潮流、あらゆる文芸傾向の影響を受けなくては済まず、近代日本の知識青年あるいは文学青年に特徴的な、露骨にして痛ましい彷徨を、大正に発して昭和戦前から昭和戦後に至るまでつづけたのである。
このような文章によって著者のシンパシーを受ける人物に興味を持つなというほうがおかしい。