馬券の真実

先日入手した『値段の明治・大正・昭和風俗史(上)』*1朝日文庫)をぱらぱらめくっていたら、岩川隆さんが「勝馬投票券」について書いている文章が目にとまった。付載されている明治からの馬券価格表とともに、興味深いものだった。
それによれば、大正12年に公布された競馬法で定められたのは、5円・10円・20円の各券。当時にしてみれば「選ばれた人しか買えない」高価なものだった。同書の他の項目を調べてみると、ビール大瓶一本39銭、もりそば一杯10銭という値段だから、その高さがわかろう。
ずっと前に読んだ大川慶二郎さんのエッセイ集にこんなエピソードがあった。
高価すぎて一人では馬券を買えないので、競馬場で出会った見知らぬ人同士がお金を出しあって共同購入する。的中したときに馬券の持ち逃げが起きぬよう、レースが終わるまで共同出資者たちは手をつないで円陣を組んでレースを観戦していたため、競馬場ではあちこちでこうした円陣の光景が散見されたという。岩川さんも上記エッセイの中で触れている。
また大正期は馬券一人一枚という購入制限もあった。さらに敗戦直後までは払戻金も券面金額の百倍までという制限があった。超高配当の夢がなかったのである。
昭和29年に日本中央競馬会JRA)が設立され、券面金額10円、馬券種類単勝式・複勝式・連勝単式・連勝複式が定められる。勝馬投票券の種類は十枚券・百枚券の二種類。つまり馬券の券面金額は10円でも、購入単位は100円と1000円の二種類ということだ。券面金額10円は明治40年以来のもの。
ちなみに明治40年頃、10円はどのくらいの価値があったか。ふたたび同書を参照すれば、明治33年における教員の初任給が10〜13円。もとよりイギリスの例を見るまでもなく、競馬場はお金持ちの社交場だったのだ。
実は現在でも券面金額10円というのは変わっていない。現在も最低購入単位は100円だが、この100円の馬券を一枚買うと、その券面には10枚と印刷されてくる。一枚10円の馬券を10枚分購入したという考え方なのである。購入は100円単位なのに馬券は10円単位というズレに長く疑問を抱いていたが、これは敗戦直後はおろか明治末年にまで遡るものだったのかと疑問が氷解した。
考えてみればこの間、諸物価がことごとく高騰するなかで、馬券の最低購入単位(100円)はいまのいままで変わっていない。奇跡というべきか。
馬券といえば先日、G1宝塚記念で勝ったヒシミラクルに1222万円を投じて的中、16.3倍のオッズだったため、約2億円を手に入れた男性のことが話題になった。報道によれば、この男性は安田記念で的中した払戻金をそのまま宝塚記念に投入したのだという。つまり「ころがし」という馬券の購入方法である。
「ころがし」とは、あるレースで的中した金額をそのまま次のレースに全額投入してもうけをふくらますことで、途中で予想を外してそれまでのもうけが泡となっても、当初の投入額はそれほどのものではないので諦めがつくというものだ。
今回のこの男性の行為は、知らない人にとってみれば「よく1222万円も一つの馬券に投入できたものだ」と驚くだろうが、私は、これは「ころがし」なのだろうから、外れても惜しくなかったのだろうと思っていた。
やはり私と同じことを考える人は多いらしく、7/4付の朝日新聞夕刊で具体的に男性の「ころがし」のやり方を検証した記事が載っていて思わず熟読してしまった。その記事(有吉正徳氏の署名あり)の推測は以下のとおり。
宝塚記念に投入した1222万円は安田記念の当たり馬券。優勝したアグネスデジタル単勝オッズは9.4倍なので、1222万円を9.4で割ると、「彼」はアグネスデジタルに130万円を投じていたことになる。有吉氏は「ここから先は完全に想像の世界の話」と断ったうえで、さらに推測を進める。
130万円という金額とつじつまの合う最近のレースにはダービーがある。優勝したネオユニヴァース単勝オッズが2.6倍。「彼」は、最初にダービーでこの馬に50万円を投じて的中、得た130万円を次に安田記念に全額投入、これまた的中し宝塚記念に得た1222万円を全額投入、そしてついに宝塚記念でフィナーレというわけだ。
計算が見事に合致するだけに、有吉氏の推測はかなりいい線をいっているのではあるまいか。
したがってこの男性にしてみれば、安田記念の時点で1222万円を得たとはいえ、当初つぎ込んだのは「たかだか」50万円にすぎない。外れたとしても最初に投じた50万円の損と思えば傷は深くない。その果てに2億円が待っていた。「ころがし」の魅力はここにある。

有吉氏も書いているが、わたしたち庶民には一つの馬券に50万を投じることすら常識外れである。常識的な額で、500円を当初投じたとすれば、19万9180円になるという。これだけでも十分興奮するものだと思う。