46 阿佐ヶ谷散財編

阿佐ヶ谷の小さな映画館ラピュタ阿佐ヶ谷にて、現在「昭和の銀幕に輝くヒロイン」シリーズの第九弾として、高峰秀子スペシャルを上映中である。今日から「稲妻」の上映が開始されたので観に行った。林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の名編である。
ラピュタ阿佐ヶ谷に行くのは今日が三度目であるが、全50席の小さな劇場とはいえ満席で補助椅子が出る映画はこれが初めて。さすが成瀬映画・高峰秀子主演というべきだろう。
映画は、やはり良かった。先日観た林芙美子原作・成瀬監督という同じコンビの「浮雲」はただひたすら悲しさのつのる作品であるのに対して、女性の哀しみが底に流れている点は共通するが、ラストシーンで母親役の浦辺粂子高峰秀子が笑いながら仲良く歩く後ろ姿には光明が差しており、幸福への予感が暗示されている。
だらしない男たちと、彼らに翻弄される女性たち。すべて父親が違う三人姉妹の軋轢、そのなか、男を受け入れずはとバスのガイドとして独り立ちしている末娘の清子役を演じるのが高峰秀子だ。
下町育ち(原作では下谷茅町住まい)の設定とはいえ、凛とした表情と伝法な口調のミスマッチが彼女の魅力なのだ。とびきりの美人とは思わないが、いくつかのシーンで見せる一瞬の表情にハッとさせられる。
彼女のガイドではとバスが走る銀座、一家が住む下町(場所は不明)、三姉妹と深い関係を結ぶ東両国のパン屋綱吉、次姉の亡夫が囲っていた女の住む深川、綱吉が長姉に連れ込み旅館を経営させる渋谷、次姉に喫茶店(ミルクホール)を経営させる神田、家を飛び出した清子が間借りをする世田谷とトポロジカルな魅力も備わる。
下町の家では夜に義太夫のおさらいの声が聞こえてくる。対して世田谷では隣家からピアノのお稽古の音が届く。そんな下町―山の手、いや、中心―郊外の二元的視点が見事である。
今日は気分もよく、映画館のなかでも息苦しくならずにすんだ。映画も素晴らしかったし、外に出ると青空がまぶしい。ラピュタ阿佐ヶ谷周辺の阿佐ヶ谷の路地歩きも楽しく、家々の庭の緑の濃さがまた気分を高揚させる。
中央線沿線の町に出かける前には、決まって岡崎武志さんの中央線沿線古本屋ガイド「古本は中央線に乗って」(ちくま文庫『古本でお散歩』所収)に目を通す。今日も阿佐ヶ谷駅周辺の古本屋を復習して出かけた。
ラピュタの裏手にある今井書店は閉まっていたが、岡崎さんが阿佐ヶ谷といえばまず指を折ると書いている千章堂は開いていた。ここで山口正介さんの自伝的連作短篇集『麻布新堀竹谷町』(講談社)を購う。650円。父山口瞳さんの麻布時代を考えるうえで貴重な文献となるかもしれない。著者献呈箋あり。
駅南口へ出、南へ伸びるアーケード商店街パールセンターを歩く。地下にあるブックギルドでは、今和次郎とともに考現学を立ち上げた吉田謙吉の文集『吉田謙吉Collection1 考現学の誕生』(藤森照信編、筑摩書房)と川本三郎森まゆみ橋爪紳也三氏の共著『世紀末盛り場考』(日本経済新聞社)を購入。
さらにアーケードを南下するとブックオフ阿佐ヶ谷店がある。高見順生命の樹』(文春文庫)を100円で購入。高見順も見つけたら買っておこうと思っている作家の一人。
以前はこのブックオフまでで駅に引き返していたが、今日はさらに南へ歩き、岡崎さんの文章に「推理、大衆小説が充実している店としてよく知られている」とある古書弘栄まで足をのばした。
たしかにこの言葉どおり推理・大衆小説の古いところが所狭しと並んでいる。新書が多く並んでいるのが珍しい。まず結城昌治の長編『死者と栄光への挽歌』(文春文庫)を見つける。
さらに棚を見ていたら、山口瞳さんの単行本が数冊並んでいるのを発見した。そのうちの一冊男性自身シリーズ『変奇館の春』を棚から出して値札を確認すると、何と3000円。高すぎる。ため息をついて棚に戻し、隣の『迷惑旅行』を取り出して見返しを見てびっくり。山口瞳さんの墨書献呈署名があり、そのうえに関頑亭さんの署名と観音様の絵が入っているではないか。
値段を見ると5000円。山口瞳さんの署名本はかねてから一冊欲しいと思っていた。おまけにこれには頑亭さんの絵まで添えられている。財布を確認すると、帰りの電車賃を見込んでかろうじて買える額だった。店の狭さからくる暑苦しさと、買いたい、でも買うと小遣いがなくなるというジレンマから汗が額に滲んでくる。
古本は一期一会。思い切って購入した。山口さんの署名本を買えた嬉しさの反面、こういう高い買物をしたあとには清々しさよりもむしろ罪悪感があるのはなぜだろう。