空虚に実体を盛り込む

皇居前広場

電車の中では比較的軽めで一篇が短めのエッセイや小説を読む。対して家では内容的にも物質的にも重みのある単行本や文庫本を読むという「読み分け」をしている。
最近家での読書に、単行本や堅めの文庫と並行して新書も読むようになった。これはむろん坪内祐三新書百冊』(新潮新書)の影響だとしても、読む気を起こさせる刺激的な新書新刊が相次いで刊行されていることも見逃せない。とりわけ岩波・中公・講談社現代の“旧勢力”に対する集英社・文春・光文社・新潮の“新勢力”の追い上げはめざましい。
先日内藤陽介さんの『外国切手に描かれた日本』を取り上げた(4/21条)。光文社新書である。その光文社新書から今月も面白い新刊が出た。原武史さんの皇居前広場*1である。
これも先日取り上げた鹿島茂井上章一両氏の対談集『ぼくたち、Hを勉強しています』(朝日新聞社)で原さんが特別ゲストとして発言していたなかで、井上さんの『愛の空間』(角川選書)にインスパイアされたとして原さんが皇居前広場とセックスの関係について述べていたことが印象に残った。このエピソードは本書の成果の一部であった。
皇居前広場を含む皇居については、ロラン・バルトが都市東京を規定したところの人口に膾炙した言葉がある。「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」というものだ(『表徴の帝国』宗左近訳、ちくま学芸文庫)。
原さんはこれに加え、建築史家藤森照信さんの次の発言を前提に、皇居前広場についての考察を開始する。

皇居前が県庁前や町の公園と同じかというと、これが全くちがう。物量が放射するプラスの威風は感じないのだが、代りに、ここでは鼻をかみづらいとか冗談をいいづらいとか、何々をしてはいけないという打ち消しのマイナスガスが立ち込めている。(『建築探偵の冒険・東京篇』ちくま文庫
個人的経験をいえば、私は皇居前広場には一度しか行ったことがない。しかもそれは中学校の修学旅行のときである。二重橋をバックに集合写真を撮った。20年ほど前のことだ。
東京に来て5年が過ぎたというのに、「二重橋前」という地下鉄駅を利用しないこともないのに、近くの日比谷には何度も行っているというのに、皇居前にはそのときしか行ったことがない。バルトの言葉の影響がないとはいえないけれど、やはり自分にとっても「空虚な空間」というイメージが強い。
ところが『皇居前広場』を読むと、この場所が「空虚」であったのは近代の歴史のなかでごく一時期に過ぎないことがわかった。「空虚」であった時期にバルトは東京にやって来て観察し、また私が生まれ育っただけに過ぎないのである。
原さんは、広場の利用のされ方に着目して広場の歴史を以下五つに区分している。

  • 第1期:準備期(1888-1924)
  • 第2期:天皇儀礼確立期(1924-45)
  • 第3期:占領軍、左翼勢力、天皇などの激突期(1945-52)
  • 第4期:空白期(1952-86)
  • 第5期:天皇儀礼再興期(1986-)

本書ではそれぞれの時期区分ごとに、皇居前広場がいかなる使われ方をしていたのか、当時の資料を調べ上げて綿密に検討を加えている。要するに本書は、「空虚な中心」としてイメージされがちな皇居前広場という空間に「実体」を盛り込んだものということができるだろう。
同じ光文社新書の内藤さんの本のような創造性ではなく、実証を丹念に積み重ねた厚みがある。このようなスタイルの本もまた嫌いではない。
前述のとおり「空虚な中心」であったのは上記の区分でいえば第4期の三十数年間に過ぎないという歴史性をもっていることがわかる。これに対して実体を有していた第2期・第3期の様子を見ると、自分の持っている第4期のイメージを覆される事実の連続で、呆然とせざるをえない。
第2期には、「親閲式」という儀礼において、台座に立ち挙手の礼をとり続ける天皇のすぐ脇を人々は行進する。そこで人々は「現人神」ではなく生身の人間を確認する。
第3期では、占領軍の軍事パレードやメーデーなどの労働集会が盛んに開催される。1952年の「血のメーデー」事件もここで起きた。
第4期の空白期を破り第5期に入るきっかけとなったのは、1986年11月の天皇在位六十年記念式典であるという。このとき昭和天皇は、夕刻から提灯を持って広場に集まった国民に対し、二重橋(広場から見れば後方の鉄橋のほう)の上から手を振った。天皇の様子は広場にいた人からは見えなかったらしい。
本書には、二重橋上で手を振る天皇の背後から撮影された写真が掲載されている(229頁)。本書のなかでもとびきり印象深い一葉である。暗がりの向こうに無数の灯火が点じられ、さらにその背後には丸の内の高層ビルの夜景が広がる。
本書の内容とは無関係だが、皇居は実は東京のなかでも夜景を見る絶好のポイントであることを知った。もちろんその夜景を楽しむことができるのは限られたごくわずかな人々に過ぎないのだが。
結論として原さんは次のように皇居前広場を定義する。

皇居前広場とは「広場」という概念になじまない、日本に固有の空間であるばかりか、日本の中でも東京にしかない。それ以外に、皇居前に相当する空間はない。(249頁)
ただし、唯一ここに類似する雰囲気をもつ空間が日本にひとつあると付け加える。それは伊勢神宮である。伊勢神宮は二十年に一度、式年遷宮といって社殿を造替する。そのため、建っている社殿の隣に、次の造替のときに新しい社殿を建てるための空き地(「古殿地」というのだそうだ)が必ず設けられている。
古殿地は、原さんの言葉を借りれば、「かつての社殿の中心があったことを示す「心御柱覆屋」と呼ばれる小屋以外、一面に白石と清石が敷き詰められている」という景観である。
十数年前初めて伊勢神宮を訪れた私は、各社殿の脇に必ず設けられている古殿地の何もない空間を見て奇異な感にとらわれた。そして何となく「面白いなあ」と感じた。この奇異な感覚は、皇居前広場に感じていた空虚感と通底しているわけで、そこには近代天皇制の歴史的表現が隠されていたのである。
最後に原さんは、皇居前広場と伊勢古殿地との比較から訣別し、広場に立ち込める「打ち消しのマイナスガス」を追い払い、誰でもが気軽に行くことのできる広場に変えるべきことを提唱している。