子分肌の逆襲

てんやわんや

先日日本テレビ系のバラエティ番組「行列のできる法律相談所」を見ていたら、司会の島田紳助が、ゲストで出ていた野々村真を「日本一の子分肌」と呼んでいた。親分肌という言葉はあるけれども、その逆の意味での「子分肌」という言葉は島田紳助の造語だろう、初めて耳にする。
他人に服従することを厭わない受動的なライフ・スタイルの人間を「子分肌」と積極的に定義し価値の転換をはかるのは、「老人力」に似た発想の絶妙な表現だと感心した。
ちょうど読み終えた獅子文六の長編『てんやわんや』*1新潮文庫)が、まさにそうした典型的な「子分肌」の人物犬丸順吉を主人公にしているのはまさに偶然の一致である。
作品の冒頭で順吉はこう告白する。

私は運命にも、人間にも、よく服従する。それが、私の性格であり、また処世の道であった。
服従することが自らの本分であるという順吉は、戦前から元代議士で雑誌出版社社長の鬼塚玄三に拾われて彼の腹心となり、戦中には鬼塚の仲介で情報局に勤務する。
情報局勤務といっても下っ端の雇員であったのだが、生来の気弱な性格のため、敗戦後鬼塚に脅かされて戦犯として逮捕されることを恐れ、鬼塚の指示で彼の郷里である伊予宇和島近くの田舎への国内亡命、潜伏生活を余儀なくされる。
そのさい順吉は鬼塚から秘密書類を託された。鬼塚が戦犯指名を受けた場合の証拠書類かもしれず、それを携えていることで共犯になることに恐れおののきつつ、順吉は戦後の混乱のさなか、鉄道を乗り継いで四国の西の果てへやってきた。
物語は、宇和島近くの和比古郡相生町で潜伏生活を始めた順吉の生活がおもしろおかしく展開する。
鬼塚の紹介で寄寓した土地の名望家玉松家やそれを取り巻く相生の人びとの大らかさ、相生でののんびりとした田舎生活、相生からさらに山に入った檜扇の村でマレビト歓待を受けて一夜をともにした村の娘への思慕が片方にあり、東京での雑誌記者暮らし、同僚のモダンで活発な女性からの求婚と、彼女を籠絡しようとする鬼塚への嫉妬がもう一方にある。
順吉は、田舎と都会という二つの点の間で揺れ動きながら、戦後の自由な生活を謳歌し、相生の村人たちが企てる四国独立運動に巻き込まれながらここで波瀾の一年間を過ごすのである。
順吉が相生を離れる大きなきっかけは、檜扇の少女への失恋と相生町を襲った大地震であった。調べてみるとこの地震は、1946(昭和21)年12月21日に発生し史上「南海大地震」と呼ばれている、高知を中心とした四国南部を襲った実在の大地震であった。フィクションのなかに実在の大災害が効果的に取り込まれている。
ところで本作品を貫いている、鬼塚から順吉に託された「秘密書類」とは何だったのか。これを明かすと面白くなくなるのでここでは触れないが、秘密書類の中味を知ったとき、順吉は俄然子分からの脱出を決意するのだった。
(万国の子分、団結せよ)
私は、そう叫びたい気がする。私の子分的経歴、子分的運命を解放するためには、到底、独力のよくするところではないからである。(285頁)
古書ほうろうでこの文庫版を見つけ購って以来、本書を積ん読の山に埋もれさせずつねに目のつくところに置き、読む機会をうかがっていた。先日の東武東上線古本屋めぐりのさいにお会いした岩元さんとの間で獅子文六や本作品の話題が出るに及んで、ついに読むことになったわけである。
そのときにも話題に出たのだが、この本を読んで思い出すのは、丸谷才一さんの『笹まくら』(新潮文庫、感想は2001/11/30条参照)である。
『てんやわんや』の犬丸順吉は戦犯逮捕を逃れるために宇和島近くに国内亡命した。いっぽう『笹まくら』の主人公浜田庄吉は、徴兵忌避の果てに砂絵師に身をやつし宇和島に潜伏する。
国内亡命地として選ばれた宇和島という都市(あるいはその周辺地域)のトポロジカルな性格に、いま関心のアンテナが向きはじめた。