怒濤の鹿島本三連読

平成ジャングル探検

東京をジャングルに見立てるのは言い得て妙だと思う。地方出身の私にとって、都市東京を歩くことは、次に何がわが身に襲いかかってくるかわからない密林を歩く感覚を疑似体験しているような感じだからだ。鹿島茂さんの『平成ジャングル探検』*1講談社)を読んで、その意をさらに深くした。
この本がことさらに「平成」と銘打っているのは、“ジャングル探検”の先達がいるからである。その人は坂口安吾。『安吾巷談』(ちくま文庫版全集第17巻)に収められている「東京ジャングル探検」を目指したことが、「あとがき」で語られている。

本書は、風俗産業を柱に据え、日々刻々とうつろう大都市東京の盛り場を訪れたルポルタージュであり、その盛り場の移り変わりを近代日本社会の変化のなかで捉え直す「東京盛り場盛衰史」である。
取り上げられている盛り場は12ヶ所。新橋・六本木・渋谷・大久保・銀座・吉原(浅草)・吉祥寺・大塚・赤坂・錦糸町・新宿歌舞伎町・上野。いわば21世紀東京の町歩き(2000年に発表された文章も含まれる)でもあるのである。
闇市の雰囲気が濃厚に残るニュー新橋ビルの猥雑ぶりの理由、大久保がコリアン・タウンと化した理由、若い女性が支える渋谷、「男銀座」の「女銀座」の二つの軸から見る銀座、団塊の世代に支えられた吉祥寺、熟女・人妻系に特化した大塚の謎、高級料亭という虚飾性を保ち続ける赤坂の地霊、リトル・ブカレストと呼ばれて美人ルーマニア人女性に会える町錦糸町、なおも「性の王国」の地位が揺るがない歌舞伎町のエネルギー、上野の盛り場としての特性などなど、私の知らない東京ジャングルはまだまだ深い。
このところ著書刊行が相次いでいるうえに継続中の連載も多く抱える売れっ子の鹿島さんだが、まったく書き飛ばしの感がないのがすごい。風俗を中心とした盛り場ルポだから、多少力を抜いたものかと思いきや、そこから想像されるような軽薄さは微塵もない。
上述のようにその場所の歴史的推移を的確に押さえ、自らの体験を織りまぜながら、21世紀に盛り場として繁栄している(あるいは寂れている)理由を解き明かす叙述は、鹿島さんの他の著書から受ける知的刺激とまったく変わりがない。その点にまず驚かされる。
いま軽薄さとは無縁だといったが、意図的に軽薄を装っている部分があって、読んで笑える。
女子大の「謹厳実直な教師」を標榜するため、風俗店の体験ルポは同行の編集者に委ねざるを得ない。任務を帯びて派遣された編集者の体験報告の文体がトニー谷調だったり、夕刊紙の風俗面のそれだったり、武士(あるいは忍者)の報告調だったり、変幻自在なのだ。
たしかに体験ルポを地の文と同じような文体でつづってしまうのでは風俗ルポとしては単調だし、そうした文体で書くのは気恥ずかしいのだろう。ただ毎回のように女子大教師であることを強調されることが、かえって怪しさを増している。これも計算されたものだろう。
風俗を中心とした盛り場の盛衰にも、やはり東京オリンピックとバブルが大きな影響を与えていることが、本書を読んでよくわかる。
加えて興味深いのは、それらを享受する側の人間集団の特性が東京の盛り場の盛衰に深く関係していることである。それは鹿島さんご自身もその一員である「団塊の世代」である。団塊の世代の人間たちの性欲処理のために発展した盛り場がある。また団塊ジュニアの世代によって支えられている町もある。盛り場を歴史的社会学的に分析することによって見えてくることは多い。
色とりどりの装飾広告が猥雑性をいや増しに増す夜の渋谷の町(?)を背景に、黒いコートにサングラスをかけ、微笑を浮かべてたたずむ鹿島さんの写真をあしらったカバー表紙が怪しさ満点。黒いコートとサングラスは「平成東京ジャングル」を探検するさいのコスチュームといえるのだろう。