史上最強のH学者コンビ

ぼくたち、Hを勉強しています

『オン・セックス』(飛鳥新社)、『オール・アバウト・セックス』(文藝春秋)の鹿島茂さん、『愛の空間』(角川選書)、『パンツが見える。』(朝日選書)の井上章一さん、いまこのお二人がアカデミズムのなかで積極的にエロ(H学)について研究を推進している双璧といえるだろう。
このお二人の対談集が面白くないはずがない。『ぼくたち、Hを勉強しています』*1朝日新聞社)は期待どおりの爆笑対談集だった。六章に分かれた談話のうち、後ろ二章は『大正天皇』(朝日選書)、『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ)の著者近代政治思想史の原武史さんが加わった鼎談となっている。
細かな議論の流れは実際に本書を読んでいただくとして、ここではお二人から出されたH学の大胆な仮説や爆笑の対話の一端を紹介しすることにしよう。
女は男の所有物に目をつけて結婚相手を選ぶ、その点所有物というのはニューギニア部族社会のペニスサックと変わらないという鹿島さんの提起を受けて、井上さんは学歴も所有物の一種だから、東京大学京都大学もペニスサックのようなものだとする「東大・京大ペニスサック説」を唱える。
また鹿島さんは現代インテリ女性の「三十二歳結婚説」を導き出す。その筋道はこういうものだ。

なぜかというと、二二歳で大学を出るでしょう。大企業でお茶くみをやって、二五歳くらいでイヤになってしまう。そうすると、なにかハクをつけたいというので外国に行って、戻ってくると二八歳。いちおう、なんらかのキャリアがあるから、めでたく仕事に就いて、結婚のほうは、どうしよう、どうしようと二九歳くらいまで迷って、とりあえずの機会は見送って次のチャンスを狙う。そうすると、自分に見合った年齢の独身男がだんだんいなくなるから、中年男と不倫とかでセックスの経験を積んで、三二歳で結婚するという例が多い。(77頁)
この説もなかなか説得力があるのだが、面白いのはそれを受けての井上さんと鹿島さんのやりとり。
井上:それはあいだに必ず、中年男との不倫が入るのでしょうか。
鹿島:(キッパリ)入りますね。入らないはずがない。
井上:ぼくはそういう類の話に疑問があるんです。不倫が多い多いと言われるのに、なんでぼくに起こらないのか。
鹿島:本当に、どうしてでしょうね。
井上:妻子持ちと道ならぬ恋を……道ならぬって言わないらしいですね、このごろは。そんなに不倫をしたいのなら、なんでオレのところに来いへんのや。
井上さんの魂の叫びである。井上さんはご自分でモテない中年であることを繰り返し強調しておられる。著者紹介のキャプションがまた涙なしでは読めない。
「モテるおじいさん」になるために、ピアノのレッスンを始めた。(23頁)
あるいはパリの風俗店の趣向についてのやりとり。
鹿島:(略)日本には「わかめ酒」がありますが、向こうはシャンパン風呂なんです。娼婦を風呂桶に入れて、そこにシャンパンを注いで、みんなで飲むという趣向です。
井上:女体盛りはないですか?
鹿島:あります。キャヴィアですね。
井上:日本だと刺身ですがね。トロとか、タコとか。
鹿島:刺身だと、箸でつまむだけでしょう。キャヴィアだと、口で直接嘗められる。
井上:ああ、なるほど。(48頁)
井上さん、納得してしまった。読むほうは脱力する。
鹿島さんの学生時代(全共闘世代)、男と女が出会う機会として、合ハイ(合同ハイキング)や歌声喫茶があったという鹿島さんの話につづいて。
井上:日本へ来るロシア人の研究者は感動するらしいですよ。日本の中年以上の人に会うと、「走れトロイカ」とか「ヴォルガの舟唄」とかのロシア民謡をよく知っているが、なんでこんなに知っているのかって。ロシア民謡をこんなに知っている中年は、世界中にいないんじゃないかって。フランスの中年で「ステンカラージン」を歌える人はいますか?
鹿島:いないでしょう。
井上:やっぱり。ロシア民謡が歌えるわれわれって、国際的に変なんでしょうか。まあ、旧共産圏はべつかもしれませんが。
鹿島:異常です。
井上:アメリカの人民は、まず知らないでしょうね。
鹿島:知らないですね。
井上:やっぱり、共産党社会党のおかげなんでしょうね。
鹿島:そうでしょうね。それから、ルパシカという衣服がソ連以外で流行ったのも、日本だけでしょう。大久保清の必須アイテムだった。(91頁)
鉄道史の研究者でもある原さんが加わってからは、「痴漢史」や「乳房史」についての話に花が咲く。この人たちのH学に対する飽くなき知的追究心に対し真面目に頭が下がる。
ところで先に、対談の中で井上さんは自分がいかに「モテないおっさん」であるかを強調されているということに触れた。実はこれには裏がある。「あとがき」のなかで井上さんは、もてないことを誇張した点について、「正直に言って、そこにはうそがある」と告白している。
「今の私は、女の人にぜんぜんもてなくもない。すくなくとも、みんなからきらわれるおっさんではないと思う」と言う。ただし、もてているのはメディアに顔を出すゆえの虚像によるもので、本質はもてないのだと付け加えることを忘れない。
鹿島さんも好きだが、私はこういう井上さんの正直なところが好きだ。男に「好き」と言われても井上さんはまったく嬉しくないかもしれないが。