文春リベラルの直撃

雑誌記者 池島信平

矢口純さんの『酒を愛する男の酒』*1新潮文庫、→5/24条)を水源に発した小さな「読書川」が、たくさんの支流を合わせ滔々たる流れとなり、そこからまた幾重にも支流を生み出していくような大河になりつつあるとは、想像だにしなかった。
矢口さんの本を読んだとき、収められている池島信平ポルトレに感銘を受け、「次に読むのは池島信平関係の本にしようと決めた」と書いた。

思えば池島さんほどいつもご機嫌な人はいなかった。しょぼくれたことや泣きごとをおよそ聞いたことがなかった。せいぜい、
「イヤだねェ、いい加減にしてもらいてえよ」
くらいしか言わなかった。しかしその心底には、厳しい批判精神と闘志が燃えているようであった。(前掲書、221頁)
それから10日が過ぎてしまったが、ようやく「池島読書」の流れをつなげることができた。“大坂の陣的読書法”実践者たる身としては、池島自身の著作より先に、その評伝、塩澤実信さんの『雑誌記者 池島信平*2(文春文庫)に手が伸びたのは、自然の成り行きである。
上記の引用文でもわかるが、矢口さんの著書で描かれた池島信平像は、歯切れのいい東京弁をしゃべる爽快な人物というものだ。本書を読むと、池島は本郷春木町(現本郷三丁目)に生まれ、生家は北星舎という牛乳屋を経営していた。そういえば以前文京ふるさと歴史館の展示で、本郷界隈に牛乳屋(牧場)が多くあったことを知って驚いたことを思い出した。
彼の学歴は、府立五中(現都立小石川高校)―新潟高校―東大文学部西洋史学科というもので、なるほどリベラルな気質はこのなかで形成されたのかと得心した。府立五中は澁澤龍彦の母校でもある。在学中の校長伊藤長七は池島のモノの考え方、生き方に大きな影響を与えたらしい。
この伊藤校長は、質実剛健を誇った時代に、背広にネクタイというのを制服にし、英国の名門校の校風にならって、紳士の自覚とプライドを生徒にもたせた」という。たしか澁澤の回想エッセイにも、中学時代のお洒落な制服について書かれてあったような気がする。
文藝春秋社入社から社長在任中に急逝するまで、「雑誌記者」として一生を貫いた生涯は、そのまま雑誌『文藝春秋』の浮沈と重なる。『文藝春秋』という雑誌に流れる中正中立な自由主義的雰囲気を伝えるだけでなく、その雑誌を起こした菊池寛、さらに彼を継いだ佐佐木茂策の果たした役割まで見通した評伝で、実に読みごたえがあった。
菊池寛、佐佐木茂策が書いた文章も多く引用されているが、それぞれ簡潔にして明快、読みながらこれほど気分がよくなる文章というのも滅多に出会わない。池島の文章にしても同じ。“文春リベラル”とでも言うべき力にまともに身に受けた感じである。
池島の人間性については、社長在任中、同社の看板雑誌のひとつ『漫画讀本』を休刊することに決したさいの社員との衝突を目撃した阿刀田高の一文が印象的だ。編集部員とやけ酒を飲んでいたら、彼が突然社長に電話すると言いだし、一愛読者と偽って社長の自宅に電話し、直接文句をつけた。
休刊を決めた日のことだから池島もしばらくして気づき、その社員を一喝する。しかしすぐに気を取り直し、その社員の気持ちを慮って諄々となだめたという。阿刀田はそこから文藝春秋という組織のあり方と社長の人柄を察知し、感服する。
こんな池島信平の生き方に接していたら、彼が魂を込めて編集した『文藝春秋』という雑誌に対する関心がにわかに高まってきた。読み終えてすぐ、積ん読の山の底に沈んでいた、池島のエッセイ集『歴史好き』(中公文庫)*3と、坪内祐三文藝春秋八十年傑作選』*4文藝春秋)を汗だくになりながら掘り起こし、目につくところに置きなおした。
そしていま、池島の文藝春秋での先輩にあたり、池島の葬儀で弔辞を述べた永井龍男の本を読み始めている。

*1:ISBN:4101246017

*2:ISBN:4167283069

*3:代表作である『雑誌記者』(中公文庫)は持っていない。いずれ入手せねばと思っている。

*4:ISBN:416359230X

柏にて都筑道夫をかき集め

妻が柏に買い物に行くというので、これ幸いと同道を申し出る。たしか駅近くの太平書林が新装オープンしたはずなので、行きたいと思っていたのだった。
ところが行く時間が早すぎたのか(午前中)、土曜日は休業なのか(それはたぶんないだろう)、店が閉まっていてがっかり。以前も午前中に訪れ閉まっていたことがあったので、懸念していたのだが、またやられてしまった。柏の古本屋めぐりは午後にすべきである。
仕方ないのでもう一店、柏に行くと必ず訪れる古書森羅へ*1。ここでは都筑道夫さんの文庫本をたくさん買うことができたので、落胆を払拭することができた。

  • 古書森羅
都筑道夫『阿蘭陀すてれん』(角川文庫)
カバー、300円。解説植草甚一さん。本書の大半はちくま文庫の『都筑道夫恐怖短篇集成2 阿蘭陀すてれん』(ISBN:4480039678)に収められている。先日この『都筑道夫恐怖短篇集成』をパラパラめくっていたら、山藤章二さんのイラストが多く収められていることを知り、俄然興味をそそられた(なにをいまさら)。
都筑道夫『黒い招き猫』(角川文庫)
カバー、300円。こちらは『都筑道夫恐怖短篇集成1 悪魔はあくまで悪魔である』(ISBN:448003966X)に収録。
都筑道夫『悪夢図鑑1 あなたも人が殺せる』(角川文庫)
カバー、200円。ショート・ショート集。
都筑道夫都筑道夫ひとり雑誌第1号』(角川文庫)
カバー、500円。以上角川文庫の都筑本はすべて山藤さんによるカバー装幀。
都筑道夫『犯罪見本市』(集英社文庫
カバー、400円。どうしようか迷ったが、元版桃源社ということで購入を決めた。
都筑道夫『砂絵くずし―「なめくじ長屋捕物さわぎ」傑作選』(中公文庫)
カバー、260円。いずれこのシリーズは読むことになるのだろうけれど、まずは集めよう。
都筑道夫『深夜倶楽部』(徳間文庫)
カバー・帯、230円。恐怖小説の連作短篇集。解説宮部みゆきさん。ISBN:4195673712
小林信彦イーストサイド・ワルツ』(新潮文庫
カバー・帯、280円。未読のうえ、めくると東京の地名が目に飛び込んできて、たまらず。ISBN:4101158290
樹下太郎『非行社員絵巻』(文春文庫)
カバー・帯、300円。ユーモア・サラリーマン小説。本を開いたら栞が挟まっているページが開き、そこには久保田万太郎の作品を筆者は好きである」とあったのに動かされた。ちなみにこの一文が収められている章のタイトルは「…………」。ISBN:416731603X
三田誠広都の西北』(河出文庫
カバー、190円。これまで古本屋で何度も見かけた本だったが、先日本書が夕刊フジ連載エッセイ本であることを知り、以来探していた。イラストは黒鉄ヒロシさん。
永六輔『評論家ごっこ』(講談社文庫)
カバー・帯、220円。数日前、id:kuzanさんから夕刊フジ連載エッセイ本であることを教えていただいた本。一度古本屋で本書を手に取ったことがあるような気がする。そのときは気づかなかった。ISBN:4061852507
山口瞳『卑怯者の弁』(新潮社)
カバー・帯、105円。均一ワゴンより。男性自身シリーズの元版。帯付で状態も悪くない男性自身シリーズ元版をこんな値段で買っていいのかしらんと申し訳ないような気持ち。買ってから、ダブりかもという恐れがきざしてきたのだけれど、帰宅後即確認したら、持っていなかった。

*1:太平書林の近くに靄靄書房もあるが、今日はパスした。

ああ幻の中原弓彦脚本映画

「進め!ジャガーズ 敵前上陸」(1968年、松竹)
監督前田陽一/脚本中原弓彦小林信彦)・前田陽一ザ・ジャガーズ中村晃子てんぷくトリオ三波伸介戸塚睦夫伊東四朗)/内田朝雄/三遊亭円楽

この映画の存在を知ったのは、昨秋三百人劇場での前田陽一監督の特集上映(「社会派コメディの変遷 渋谷実前田陽一」)だった。小林信彦さんが脚本を書いた映画であることをふじたさん(id:foujita)に教えていただいたのである。しかし私は前田監督の映画は一本も観ず、渋谷実監督作品を観ることだけに終始した。
直後、小林信彦さんがこの映画にまつわる出来事を小説化した「根岸映画村」(中公文庫・講談社文芸文庫『袋小路の休日』*1所収)を読み、映画を観るのだったと悔しがったがあとの祭り。このことについては『袋小路の休日』を読んだときにも書いた(→2004/11/24条)。
この春ケーブルテレビを入れた。導入日から一定期間有料チャンネルも無料で視聴でき、たまたまその期間に「衛星劇場」でこの映画が放映されたのである。大喜びでHDDレコーダーに録画したのは言うまでもない。それから2ヶ月が経過したいま、ようやく観ようという気持ちになった。
わたしは主演のザ・ジャガーズというグループは知らない。でも、作品中ボーカル(岡本信)が「♪若さゆえ〜」と唄うシーンがあって、この歌が彼らの曲であることを知った(曲名は「君に会いたい」というそうだ)。
てんぷくトリオが出演しているが、とりわけ伊東四朗(若い)がおかしい(怪演と言うべきか)。この頃から小林信彦さんと伊東四朗さんの結びつきがあったわけだ。円楽師匠がなぜかキザな警部役として出演。これこそ怪演である。
観はじめて30分を過ぎたあたりで、敵側のくりだしたビキニ姿の女性殺し屋五人組のうちの一人に、故二子山親方の元夫人藤田憲子さんが出演しており、「おおっ、すごいすごい」と興奮していたら、突然画面が真っ暗になった。早送りしても画面は元に戻らない。
どうやら何かの不都合で録画に失敗したらしいのである。いまとなっては原因はわからない。またしても悔しさに涙をのんだが、いっぽうで、「またいずれ観る機会もあるさ」と冷静に事態を受けとめる自分もいる。大人になったなあ。ただ、前記「根岸映画村」のこんな一節を目にすると、どうにも悔しさがこみあげてくる。

前半はテンポが悪かった。いかに脚本を改変されたとはいえ、責任は自分にある、と宏は感じた。後半からクライマックスの要塞島にかけては快調で、監督の喜劇的才能の迸りをいやでも認識させられた。(講談社文芸文庫版、124頁)
「テンポが悪」いという前半(しかもたった30分)でも、そこそこギャグが散りばめられ笑えただけに、やはりこの録りそこないはもったいなかった。