通俗映画こその面白さ

昭和の原風景

「とんかつ大将」(1952年、松竹大船)
監督・脚本川島雄三/原作富田常雄/音楽木下忠司/佐野周二津島恵子/角梨枝子/高橋貞二/幾野道子/三井弘次/徳大寺伸/坂本武/小園蓉子/設楽幸嗣/北龍二

太田和彦さんの『シネマ大吟醸―魅惑のニッポン古典映画たち』は文庫発売(3月)と同時に買い求め、しばらく枕頭の書となっていた。さっそく同書で取り上げられている作品を中心に企画上映が組まれたのは嬉しい出来事だった。よくよく考えれば、同書は神保町シアターを経営する小学館から出たのであった。これからも小学館文庫にこんな素敵な日本映画本を入れてくれればいいのだが。
おもに清水宏監督や石田民三監督の作品がかかっていた第1週・第2週は、観に行こうと思いつつ諸条件が揃わずに観ることができなかった。ようやく第3週に入り、訪れることができた。川島雄三監督の「とんかつ大将」。DVDに録画してあるのだが、やはり映画館で観ないと。
太田さんの本でも当然「とんかつ大将」は取り上げられており、あらすじを説明するこんな文章が強く印象に残った。

佐野周二は大臣の息子の身分を隠して浅草の長屋に住む青年医師。大病院建設で立ち退きを迫られる長屋のために立ち上がる。彼を大将と慕う相棒の銀月*1はしがない辻バイオリン弾き(三井弘次絶品)で、ものごとをリードしてゆく柄ではないが常に隣にいて、行き詰まると虚空をにらみ「敗軍また美しからずや」「な」とか言って気持ちをラクにさせる。佐野も苦笑し「銀月、一杯飲むか」「おっとそうこなくっちゃあ」とイイ。(312頁)
「三井弘次絶品」などと書かれると、三井弘次ファンとしては観ないではいられなくなるではないか。しかも上記引用文に写された会話は、いかにも三井さんのたたずまいを彷彿とさせるもので、もうそれだけで映像や声が浮かんでくるかのようなのである。
実際観てみると、太田さんの紹介文にある会話は必ずしも正確ではないのだが、そんなことは関係ない。やはりこの映画における三井弘次の雰囲気を伝える最上級のダイジェストになっている。ああ、行き詰まったとき「な」と言ってくれるこんな相棒がほしい。どうやら佐野と三井の二人は、戦地(たしかウラジオストックとか言っていたはず)で出会って意気投合し、復員後そのまま長屋で同居生活を送っているらしい。ここにも戦争の影。
また太田さんは川島作品についてこんなことも書いている。「これらは通俗大衆小説をよい意味で通俗的に丁寧に映画化したもので、主題どうのこうのにとらわれない純粋な映画的魅力がある」(311頁)。まったくそうなのだ。高尚な批評を受けつけない強靱な通俗性がこの「とんかつ大将」にもある。ストーリー展開はまったくベタなラブロマンス、人情ドラマなのだけれど、観るだけで気分がよくなるのである。
川本三郎さんは『続・映画の昭和雑貨店』*2小学館)のなかで、この長屋があるのを向島と書いている(「デパート」「とんかつ」の項)。映画のなかで隅田川がよく出てくる。佐野たちが隅田川沿いを歩く向こうに松屋らしき建物が見えるから、そこは隅田川の東岸であって、すぐ背後に見える橋は言問橋だろうかとぼんやり思っていたが、向島ならそれが一致する。いまでも隅田川のあのあたりは開放的な雰囲気が残っているが(高速道路さえなければ)、昭和20年代半ばの風景はもっと素晴らしい。
女優さんの好みにはいろいろあって、どの作品でもどの写真でもほれぼれする女優さんがいるいっぽうで、作品・写真によって受け取る印象が違い、ある作品ではハッとさせるような魅力によって惹きつけられてしまうという女優さんもいる。前者の代表格が香川京子さんだとしたら、後者には津島恵子さんがいる。そしてこの映画の津島さんは素晴らしい。
角梨枝子は後年の貫禄がついた容姿とは違い、色気たっぷりの美しさを見せる。木暮実千代の妹分的な雰囲気。海軍軍人、出征のとき恋人の幾野道子を頼むといい置いて快く請け合いながら、戦争の波に翻弄され幾野と一緒になり、戦後は落ちぶれてヤクザまがいの仕事をしながら暮らしている佐野の親友に徳大寺伸。あの凄味のある人が「按摩と女」の徳大寺伸であることを知ったときの驚き。
シネマ大吟醸 (小学館文庫)

*1:日本映画データベースや、神保町シアターのパンフレットには「(艶歌師)吟月」とある。こちらが正確か。

*2:ISBN:4093430322