京マチ子・ベスト

「甘い汗」(1964年、東京映画)
監督豊田四郎/原作・脚本水木洋子京マチ子佐田啓二桑野みゆき沢村貞子池内淳子小沢栄太郎山茶花究名古屋章小沢昭一春風亭柳朝千石規子市原悦子野村昭子/川口敦子

この秋は都内各所の映画館での旧作映画企画が目白押しで、この日はここでこの映画、あの日はあそこであの映画と、スケジュール表に観たい映画を書き込んでいたら、これまでの真っ白なスケジュール表が嘘のように真っ黒になってしまった。
このところ何かと忙しくて映画を観る時間が取れなかった。わたしは物理的に観る時間がないというほど日々時間に追いまくられる多忙人間ではない。忙しさを言い訳に映画に没入する精神的余裕がなかったということである。
とにかく今月は、忙しさを感じようと、そのために寝不足になろうとも、観たい映画をとことん観てやろう、そんな気持ちでいる。そこで連日の映画館通い。今夜は仕事帰りに神保町シアターに立ち寄って、豊田四郎特集のうちから「甘い汗」を観た。以前豊田作品のなかではこれと薦められ、気になっていたものだ。
自分の体だけを資本に、十代半ばから三十代半ばまでの二十年を暮らしてきた女(京マチ子)が主人公。若くして娘を生み、娘(桑野みゆき)も今や17歳になっている。三十代半ばとすでにトウが立ってきた年齢になり、体を売るにも難しく、母娘で暮らす家がない。転がり込んだのは弟たちが暮らす狭い家。そこに次弟(名古屋章)の家族と、独身の末弟、実母(沢村貞子、これが名演)がいる。
夜中泥酔して帰る京マチ子に弟たちはアバズレという罵声が浴びせられるが、そうなるほど体を売りながら戦後の貧しい時期一人で家を支え、弟たちを食べさせていったのは誰なのかと反論する。
そういう境遇でも、けなげに明るく暮らす桑野みゆきが可憐。でもとうとう堪忍袋の緒が切れ、祖母や母親をすてて行ってしまうラストは悲しい。まだ娘が幼かったとき、娘を置いて好きな男性と駆け落ちしようとしたら、泣きながら娘が追いかけてきたため思いとどまったという追憶場面と見事に重ねられているため、その悲しさが増す。
その男性と駆け落ちしていたら、もしかしたらいまのように落ちぶれず、幸せをつかんでいたかもしれない。そんな昔の恋人が佐田啓二で、ひょんなことから京マチ子佐田啓二と再会する。しかし京マチ子佐田啓二に食い物にされただけに終わる。
京マチ子と一緒に騙された山茶花究佐田啓二を殺しそこねて連れ去られたあと、佐田を助けようと懸命になって二人の間に割って入った京マチ子がさしていた日傘の上から、佐田が(しかし画面では手のみ)力士のように塩を大づかみにしてまき、日傘の上に塩がバラバラと落ちるシーンが何ともいえず寂しい。
落ちるところまで落ちたアバズレ女という役はいかにも京マチ子のバイタリティに合う役柄だが、そのなかでふと見せる寂しそうな顔にハッとするような美しさを感じる。以前観た「痴人の愛」もそうだったが、活力ある女性の役ではなく、何もかも失ったような零落した姿に神聖な美しさこそ、実は京マチ子の魅力ではないのか。
佐田啓二の遺作でもあるこの映画、これで京マチ子は賞を総なめにしたという。それが十分納得できる白熱の名演だった。ついでに言えば、水木洋子という脚本家、こうした壮絶な女性の一生を書かせて右に出る人はいない。