第8 山と川のある町

kanetaku2008-08-02

先の週末仕事で横手を訪れた。東京から訪れた人間としての率直な感想は「暑いけど涼しい」。変な文章だが、横手は盆地だから暑いけれど、緑に囲まれての暑さなら許せてしまうという意味。夜はいくぶんか涼しいのも救われる。
当初の最終目標だった本をこの三月付で刊行したので、一年単位で委嘱される立場ではなくなった。ただやり残した仕事がまだ若干あって、それらを補遺として刊行するため、臨時の担当者として、来年三月まで関わることができそうだが、仕事で横手を訪れる機会もほとんどなくなってしまうだろう。
前回訪れたとき、ご店主の病気のため休業していた横手焼きそばの名店「ふじわら」は、無事営業を再開していた。風采のあがらない店構え(失礼)は変わらないのだが、店内に「横手焼きそば四天王」やら、店が紹介された雑誌の記事が掲げられている。焼きそばで観光アピールすることに異存はないものの、あまり有名になりすぎるのも…と思わないでもない。肝心の味のほうは変わらず美味しかったので良かった。
今回の会議で、いや会議の合間の雑談で収穫だったのは、1957年に公開された石坂洋次郎原作・丸山誠治監督の東宝映画「山と川のある町」が横手を舞台にし、横手でロケされたのを教えていただいたことだった。
ちょうど7月に日本映画専門チャンネルでこの作品が放映されていて、録画しようと思いつつ先延ばしになっていたのだが、この情報で帰宅後早速録画し、DVDに保存した。
原作者石坂洋次郎は、大正末年から昭和初年にかけ、教師として横手に13年住まい、その間「若い人」などの出世作を書いて人気作家となった。彼の業績を記念して市内に「石坂洋次郎文学記念館」がある。これまで何度も横手を訪れながら、記念館まで足を伸ばすいとまがなかった。「山と川のある町」の情報により石坂洋次郎の名前がわたしのなかでクローズアップされていたときでもあり、幸い会議が早く終わったので、帰る前に立ち寄ることにする。
駅からバスで10分もしない場所に記念館はある。横手川を渡り、お城があった山の麓の、おそらくかつては侍たちが住んでいた城下町の一部だったと思われる、したがって現在は中心部から外れ気味の、閑静な場所にあった。
展示空間はさほど広いわけではない。著書や関係資料、横手での足跡を年表風に記したパネル、書斎の一部を再現した空間のほか、さすがに原作の多くが映画化されている作家のこと、映画化作品のポスターやパンフレット、スチール写真なども著作同様展示されている。いまのわたしにはむしろこちらのほうが面白い。
このなかに「山と川のある町」のロケ現場を撮した大きなパネル写真がいくつか掲げられていた。出演者である志村喬や小泉博、雪村いづみや花井蘭子らがいる。背後にはロケをひと目見ようと詰めかけた見物の市民たちがひしめく。この写真を見ながら、川本三郎さんの『日本映画を歩く』(中公文庫、→2006/8/30条・旧読前読後2002/11/19条)を思い出した。
いまから約50年前の作品ではあるが、まだこのときのことを憶えておいでの方もたくさんいるに違いない。川本さん的手法で横手の人たちから「山と川のある町」に関する「民俗学的聞き書」をやってみたいという衝動にかられる。
からしばらく歩くと山裾と隔てるように横手川が流れ、川を渡って山に登ると城跡がある。「山と川のある町」とはまさに横手のことだよなあと感心しながら、石坂洋次郎文学記念館に向かうバスを待っていたとき、目に飛び込んできたのは、駅前ロータリーの真ん中に立っている、「ようこそ○○へ」などと書かれることの多い看板である。そこに「山と川のある町」ときちんと書かれてあるではないか(冒頭写真)。
何度も横手を訪れながら、今ごろになって駅前の看板を認識したのは恥じ入るほかない。このことを知っていれば、「山と川のある町」をもっと早く録画し、来る前に観て予習したのに。まあでもまだあと一、二回訪れる機会はあるから、次はロケ地探訪を期したい。
帰りは記念館前のバス停から、横手駅に戻らず、新幹線駅のある大曲行きのバスに乗った。奥羽本線だと3駅だから、たかだか30〜40分で着くだろうと見込んでいたらこれが大きな見込み違いだった。バイパスを外れて旧道に入り、旧道に沿った集落を通っていく生活路線だったのだ。
横手盆地の山裾を縫うように、そのあたりに点在する集落を結ぶバスに乗りながら、盆地の緑と広い青空をぼんやり眺める至福の時。またしても、東北地方の田舎町でのんびり暮らすという「ありえたもう一つの人生」のことを想像してしまう。
こんなのんびりした気分になったのも、幸い新幹線の出発時間まで余裕があったゆえ。でもさすがにバスの乗車時間が一時間になりそうになったときは、内心慌てた。