気晴らしはやはり贔屓女優?

「嵐の中の男」(1957年、東宝
監督・脚本谷口千吉/脚本松浦健郎/三船敏郎香川京子柳永二郎/小堀昭男/田崎潤/根岸明美/沢村いき雄/平田昭彦佐藤允村上冬樹/上田吉二郎/磯村みどり

来月末から、池袋の新文芸坐で、先日読んだ香川京子著・勝田友巳編『愛すればこそ―スクリーンの向こうから』(毎日新聞社)の刊行を記念した香川京子特集があることを知り、いまからとても楽しみにしている。
とりわけ初日にはデビュー作の「窓から飛び出せ」が上映されるだけでなく、香川さんのトークショーもあるという。もうこれはファンとしては見逃せない。ぜひとも駆けつけるつもりでいまから意気込んでいる。
というわけで、何か香川さん出演作を観ようとしたら、ちょうど日本映画専門チャンネルで録画した「嵐の中の男」に出演していることを知った。さっそく観てみる。喜劇もいい気晴らしになるけれど、大好きな女優さんの笑顔を観るのも同じような気持ちになる。
柳永二郎は伊豆下田で柔術の道場を経営していたものの、老齢によって流行らなくなっている。柳の娘が香川京子。東京の女学校に通っていたが、父を助けるため郷里に戻ってくる。戻ってくるための船のなかで、バンカラな男に惹かれる。それが三船敏郎で、彼は下田の警察署の柔道教官として赴任してきたのであったが、そうした立場はお互いあとで知ることになる。
柳の道場の師範代で、かつて香川の許嫁だったものの香川から嫌われて破棄され、それに恨みを持っているのが小堀昭男という俳優さんで、彼は柳の道場乗っ取りを企むが三船に見事阻止される。その後小堀は情婦の根岸明美の兄で、粗野な空手家田崎潤と一緒に三船を付け狙うことになる。映画の冒頭、根岸さんが3月にお亡くなりになって、それを追悼する旨の字幕が出た。こういう色っぽい脇役として印象に残る女優さんである。合掌。
画面全体が何だか暗い。かなり昔の映画なのかしらんと『愛すればこそ』巻末のフィルモグラフィを繰ってみたら、あにはからんや1957年の作品だった。三船敏郎は直前に黒澤監督の「蜘蛛巣城」に出演し、香川さんには前年にあの「猫と庄造と二人のをんな」がある。二人ともスター俳優としての地位を確立したあとの、脂が乗りきっていた時期なのだった。ちなみに香川さんは当時26歳なのだが、女学生の袴姿に違和感がないほど初々しい。
女学生の袴姿。そう、時代は明治。日露戦争直後に日比谷焼打事件が起き、世の中が騒然としている時期を舞台にしているのであった。画面が暗いのはそのせいか。日比谷焼打事件は1905年というから、映画が作られた52年前のことになる。
この時間的距離感覚は、現在のわたしたちが「ALWAYS 三丁目の夕日」で昭和30年代の東京の姿を観るのとほぼ同じだ。「ALWAYS 三丁目の夕日」は昭和33年(1958)だから、ちょうど50年前の出来事となる。
いまから見れば「嵐の中の男」は100年前を描いた、多少時代がかった作品になるのだが、作られた当時からすれば、わたしたちが昭和30年代を「懐かしむ」のと同じ感覚になるのだろう。
古来の柔術が、講道館を拠点にした「柔道」に取って代わられるような、古い時代(柳永二郎に代表される)から新しい時代(三船敏郎が代表)への転換点がこの時期だったのかもしれない。
『愛すればこそ』によれば、共演男優のなかでも、三船敏郎との共演回数が10作品にのぼり多いほうであると書かれている。この映画でも、恋人役というか、お互い好きになる同士を演じている。そうしたこともあるのか、『愛すればこそ』での三船敏郎回想記は味わい深い。