何度観ても新鮮

中村登と市川崑

悪魔の手毬唄」(1977年、東宝)※5〜6度目?
監督市川崑/原作横溝正史石坂浩二岸恵子若山富三郎加藤武中村伸郎辰巳柳太郎草笛光子渡辺美佐子白石加代子仁科明子永島暎子高橋洋子北公次山岡久乃原ひさ子三木のり平常田富士男小林昭二岡本信人辻萬長

神保町シアターでの中村登市川崑特集、市川作品のほうは観ているか、観ていないものでもDVDに録っているものがほとんどだから、行かないつもりでいた。そこに監督の訃報が飛び込み、やはり何か映画館で観たいという気持ちに変わった。選んだのは「悪魔の手毬唄」である。
ウイークエンドの午後ということもあって混雑が予想されたので、当日のチケットが発売開始になる午前10時早々に劇場におもむき、チケットを購う。神保町シアターは整理番号順(ラピュタと同じく5人ずつ)入場なのである。窓口で1200円を出すと映画の日だと言われた。そうか、まったく意識していなかった。200円得した気分。
いったん職場に立ち寄って仕事を片づけ、開映時間間近にふたたび神保町まで歩いてゆく。神保町に旧作日本映画を上映する映画館があって、また職場から神保町に歩いてゆけるという環境にあることを天に感謝する。
悪魔の手毬唄」は、予想どおり大盛況だった。これまでウイークエンドにここで映画を観たことがないし、しかも旧作ばかりということもあるが、これまで神保町シアターで観たなかで、一番の入りだった。
悪魔の手毬唄」が市川監督の金田一作品のなかでもベストであることを意識したのは、遅まきながら約2年前に観たときのことだった(→2006/1/2条)。そのうえで調べてみると、一般的にも本作を最高傑作とする評価がなされていることを知った。
自分の抱いた感想がずれたものではなかったという嬉しさもあって、今回観るにあたっての心構えは、これまでとずいぶん違うものとなった。小中学生の頃から観てきて、近年別の見方を加えることができた、これぞわが愛着の映画という気分で観ることになったのである。
そして観てみると案の定面白い。2時間24分の長丁場、最後まで飽きさせない。全編をおおう抒情的な雰囲気は、金田一映画=土俗的という固定観念をぬぐい去るものである。村井邦彦さんの音楽も素晴らしい。
今回は、岸恵子一家の悲哀に胸が熱くなった。とくに岸恵子の子ども二人、北公次永島暎子の存在に打たれる。ラストにおける北公次の慟哭に、ついもらい泣きしてしまう。金田一映画が泣けるとは思わなんだ。
殺人を犯したばかりで血まみれになっている犯人を、中村伸郎の多々良放庵が色欲の犠牲にする場面の陰惨さも強烈な印象を残す。名優中村伸郎一世一代の悪党ぶりである。
市川監督が亡くなったあと、朝日新聞で連載されている三谷幸喜さんの「ありふれた生活」のなかで、三谷さんは市川監督のために横溝正史の作品「車井戸はなぜ軋る」を脚本化したが、とうとう間に合わなかったと嘆いておられた。きっと市川金田一作品における細部のこだわりまで目が行き届いた、最高のオマージュになっているのではないかと予想される。三谷さんご自身で映画化されることを切望する。