歩くモダン

「足にさわった女」(1952年、東宝
監督・脚本市川崑/原作沢田撫松/脚本和田夏十/音楽黛敏郎越路吹雪池部良山村聰伊藤雄之助沢村貞子加東大介/三好栄子/岡田茉莉子藤原釜足堺左千夫

最初タイトルを「歩くモダン・ガール」としていたが、それではあまりにそのままで比喩にもならないから、「ガール」を取った。
市川崑監督追悼鑑賞の第二弾。これまた超モダンな喜劇。スリの一味(越路吹雪伊藤雄之助沢村貞子)と、越路を追いかける大阪の刑事池部良が織りなす、お洒落でほのかに恋愛気分もただよう軽快な作品。
越路吹雪伊藤雄之助の馬面二人を姉弟にした配役に拍手。しかもそこにひと癖もふた癖もありそうな沢村貞子を姉貴分にする。さらに、スリの越路吹雪がスリ盗った財布をスる三好栄子のおばあさん。こんな人間関係がまず笑える。
池部さんの『21人の僕―映画の中の自画像』*1(文化出版社)のなかで、興味深いエピソードが語られている。復員直後の池部さんの映画界復帰にひと役買ったのが助監督時代の市川監督で、池部さんは市川助監督の慫慂で「破戒」に出演、見事復帰を果たしたという。
そんな借りがあったので、「喜劇を撮りたいんだけど交際ってくれないか」という誘いに、自分は喜劇が似合う役者ではないと知りつつ断れずに出演したのが、この「足にさわった女」だという。
「都会的センス」を強調する監督や、それに合わせ喜劇的でオーバー気味な芝居を展開する越路吹雪伊藤雄之助山村聰らの共演陣に負けじと池部さんも奮闘したけれど、結局自分では納得がいかなかった。「以来、演技は心でするものだとしみじみ思ったが、この映画の中では後の祭りだった」「僕にとっては少しのメリットもなかった映画だった」と厳しく自戒する。
そもそもが演出家の心の内に共感して出演するのではなく、恩があるだけで出演を決めたという、プロとしてやるべきではないことをした反省する池部さん。このあたり、冷静かつ客観的に出演作品をふりかえる池部さんの俳優精神の本領が発揮されていて面白い。
山村聰は、越路吹雪に大金を騙し取られる流行作家を演じる。名前は「坂々安古」。映画の中でも「坂口安吾と間違えられる」とこぼしているから、安吾のパロディであることを隠していない。女言葉を使う妙なキャラクターなのだが、モデルの安吾もそんな感じだったのだろうか、よくわからない。
ちくま文庫版『坂口安吾全集18』*2の年譜を見ると、この映画が公開された前年昭和26年の安吾は、5月に税金滞納により家財差し押さえられたため、「負ケラセマセン勝ツマデハ」を書いて国税庁と対決し、9月に競輪の不正事件を告発し大きな反響を呼ぶというように、作家活動以外の面で大きな話題をふりまいていたようだ。
競輪事件の余波で、映画公開の昭和27年には桐生に移住。この年「夜長姫と耳男」「信長」など、著名な作品を発表しているから、映画でパロディが登場する資格十分の人気作家だったわけである。
面白いなと思ったのは、越路吹雪が君は昭和生まれか大正生まれかと尋ねられ、憤然と昭和生まれであることを強調するシーン。昭和27年という年。妙齢の女性にとって、大正生まれか昭和生まれかは、とてもナイーブな問題だったのだろう。
あとの場面でも、年齢を問われ、「二十…」と口にし、一瞬の間をあけてから「七」と答えるシーンがあった。本当はもう少し上、すなわち大正生まれだけれど、そう悟られるのがいやなのでさばを読む。この場面も大正か、昭和かの問題に関係するのに違いない。
いまは平成20年。もう少したてば、いやもうすでに、昭和生まれは古くさく、若い女性が昭和生まれであることを口にするのは憚られる時代になっているのだろうか。