小林桂樹八十四歳の賀

演技者小林桂樹映画祭

「めし」(1951年、東宝)※三度目
監督成瀬巳喜男/原作林芙美子/脚本田中澄江・井出俊郎/原節子上原謙島崎雪子杉村春子小林桂樹杉葉子/二本柳寛/浦辺粂子大泉滉/花井蘭子/滝花久子/中北千枝子山村聰長岡輝子音羽久米子/田中春男
女の中にいる他人」(1966年、東宝)※二度目
監督成瀬巳喜男/原作エドワード・アタイヤ/脚本井出俊郎/小林桂樹新珠三千代三橋達也長岡輝子若林映子草笛光子加東大介/十朱久雄/藤木悠中北千枝子/稲葉義男/黒沢年男/佐田豊

現在池袋新文芸坐で開催中の小林桂樹さん出演映画特集。これは小林さんの俳優生活65年を記念してのもので、期間中小林さんのトークショーが三度設けられている。今日がそのうちの一回で、とりわけ今日は小林さん84歳のお誕生日という記念すべき日にあたるのである。
そして上映されるのは、成瀬巳喜男監督の傑作二本。満員にならないはずがない。二本観終えたあとのトークショーのときには、立ち見や通路へ座る人など、大盛況だった。
さて「めし」を観るのは三度目だ。最初が2003年4月にフィルムセンターで、二度目が2005年5月にDVDでだった。奇しくも隔年で奇数年に観ているという不思議。
何度観ても「めし」は間然するところのない傑作であることを思わされる。わが成瀬映画のランキングとしては、一に「稲妻」、二に「めし」か(そのあとは順不同で「驟雨」「浮雲」)。前回の感想(→2005/5/29条)を読むと、「親類づきあいの不思議」と題し、姻戚関係によって結ばれた親類同士の濃密な付き合いのあり方に、現代にないような人間関係のつながりを見いだした。
三度目の今回はこれと多少関わらないでもないが、人間同士の率直な物言いと、それと表裏一体の関係にあるしっかりした筋の通し方が印象に残った。
原節子上原謙との生活に疲れ、矢向の実家に帰ってくる。実家では母杉村春子と、妹杉葉子、妹婿小林桂樹が暮らし、小林夫婦が洋品店を切り盛りしている。ある嵐の夜、さらにそこに上原の姪で小林らともすでに面識がある島崎雪子が飛び込んでくる。
杉村は島崎を家に泊めてあげるにあたり、自分が決めるのではなく、まず小林桂樹の意向をうかがう。お婿さんとはいえ、一家のあるじの立場を尊重する姿勢に、妙に感じ入ってしまった。ここで小林さんは島崎に率直に意見し、暗に義姉原の態度をも非難する。「めし」での小林さんはこの場面だけで観る者に鮮烈な印象を与える。
そのあと、杉村は「言い過ぎだ」と小林の発言をたしなめる。むやみに家長を持ち上げるだけではないのだ。筋を通したうえで、たしなめるところはたしなめる。小林も言い過ぎをきちんと謝罪する。
また翌朝原が島崎を連れ彼女の自宅を訪れたとき、彼女の母長岡輝子が出迎える(庭で洗い張りをしている! 世田谷に住む閑雅な大学教授の家なのだ。今回初めて気づいた)。長岡は原の義姉にあたるわけだが、ここでも率直に大阪に戻ったほうがいいと原に意見する。筋を通すべきところは通し、言いにくいところも率直に意見する。間違ったら素直に謝罪する。そんな綺麗な人間関係が何だか新鮮だった。
また今回の「めし」では、上原と島崎が観光バスで大阪市内めぐりをするシークエンスで、大阪城を訪れる場面に目がとまった。つい先日わたしも出張で初めて(!)大阪城を訪れたからで、天守閣に向かう門のあたりのあまり変わらぬ風景や、逆に今とまったく違う天守閣周辺の殺風景な景色につい目を凝らしてしまう。
いっぽう「女の中にいる他人」は2003年7月、この新文芸坐で観て以来二度目となる。小林さんは主演である。親友(三橋達也)の妻を不倫のすえ殺害してしまった主人公が懊悩の挙げ句自首しようと決意するが…というサスペンス。最初観たときのインパクトが強かったせいか、今回観て淡泊にストーリーが進んでゆくことが意外だった。新珠三千代が家で履いている白い靴下が印象的。いまそんな奥さんは滅多にいないだろう。
三橋の妻で小林と不倫する女性の役が若林映子。このエキゾチックな顔だちの女優さんが気になった。そういう雰囲気だから、外国映画への出演も多く、「007は二度死ぬ」などにも出演したという。いつもの『ノーサイド』(特集「戦後が似合う映画女優」)による知識。
二本観たあとのトークショー。小林さんがお一人でこの二本にまつわるお話をされるというスタイル。最初に誕生日を祝して花束やプレゼントの贈呈があった。どういうご関係なのか、小野ヤスシさんがいらして、直接花束を渡されていた。
今日で84歳の小林さん、姿勢はシャンとしているが、心なしかお元気がなさそうな感じだ。先日同じ新文芸坐で拝見した池部さん(こちらのほうが年上)のほうが矍鑠としているという印象。でも話しぶりは、映画で観たあのお姿を彷彿とさせるものだった。
お話は、そもそも「めし」の役は、伊豆肇さんの代役であり、それも突然申し渡されたという挿話から始まった。いま観ると、あの役は小林さんのキャラクターを象徴的に表す、この人以外にないだろうというはまり役なのだが、代役なのだった。
そこから代役一般の話になり、そもそもデビューが代役から始まったという挿話を紹介。帰宅後小林桂樹・草壁久四郎『演技者 小林桂樹の全仕事』*1ワイズ出版)を繰ってみると、「将軍と参謀と兵」という映画らしいが、この本のなかでは代役とは書かれていない。ここでは、通行人で出ていたところが監督に目をつけられ、役をもらったとある。トークショーでは、出演者の一人が前夜飲みすぎで電車を乗り間違え熱海まで行ってしまい、翌日に撮影に間に合わなくなったので、急遽大部屋にいた小林さんが代役に選ばれたということだった。さてどちらの記憶が真なのか。わたしとしては面白いからどちらでもいいのだけれど、記憶とはかくも揺れるものであることを再確認。
女の中にいる他人」では、若林映子とのベッドシーンを撮影するとき、パンツ一丁になって控えていたら、成瀬監督に呆れられたという笑い話。これは前掲書でも話されている愉快な挿話だが、今回のトークショーでは、さらに成瀬監督の反応などを細かく再現され、笑ってしまった。
最後に、「これは言っちゃいけないことなのだけど…」という前置きをして、今年の7月に奥様を亡くされたことを告白、この映画祭を妻にも見せてあげたかったと声を詰まらせた。ついわたしももらい泣きしてしまう。このショックでしばらく仕事ができなかったのだが、近くアニメの声優として復帰されるというのでひと安心。映画館をあとにする小林さんを間近に拝することができたし、思い出に残る一日となった。