永久欠番が意味するもの

スポーツする映画たち

「不滅の熱球」(1955年、東宝
監督鈴木英夫/原作鈴木惣太郎/脚本菊島隆三池部良司葉子笠智衆千秋実清水将夫/滝花久子/藤原釜足/土屋嘉男/千葉一郎

池部さんの著書『21人の僕』*1(文化出版社)によれば、当時プロ野球コミッショナーだった鈴木惣太郎氏からぜひ沢村を演じてほしいと熱望され、鈴木氏が書いた沢村の評伝を手渡された池部さんが、自ら東宝に企画を提案したのだという。
沢村を演じることになった池部さんは、実際彼の投球を受けた捕手である内堀氏(当時巨人二軍監督)にフォームを教わり、その内堀を演じることになった千秋実さんと二人で合宿するなど猛特訓をしたのだという。
右足をピンとまっすぐ蹴り上げ、それをそのまま下ろした勢いで投げ込む沢村独特のピッチングフォーム。たぶんフィルムなどで見たことがあるはずだが憶えていない。最終的に池部さんのフォームは内堀氏に褒められたというから、かけ離れているわけではなさそうだ。
わたしとしては、そうした下半身の動きより、ワインドアップでふりかぶるまでの両腕の動きに魅入られた。躍動感があって、しかも静止するところでは緊張感もみなぎり、神々しいまでに品格がただようモーションが素晴らしい。
沢村の奥さん役が司葉子川本三郎さんの『君美わしく』*2(文春文庫)によれば、これが出演二作目だという。まだ素人くさくて、顔つきも丸みがある初々しさ。芦屋に住む社長の一人娘で、聟をとって父(清水将夫)の経営する商社を継がせなければならないという使命がある。
でも娘は当時まだできたばかりの職業野球の選手に恋い焦がれる。父親は職業野球の選手など実業と正反対にある(つまり虚業である)と猛反対する。最終的に叔父の応援もあって娘の思いは成就するのだが。
結婚前の池部・司カップルがデートするのが、まず湯島聖堂だから驚く。向うにニコライ堂のドームが見え、ひとけのまったくない聖堂で二人は待ち合わせする。その後二人は浅草へ。松屋の建物がひときわ目立つ。さらに水上バスに乗って川を下る。
浅草の地下鉄入口付近で、戦争が始まったという号外を受け取った池部は暗澹たる気持ちになる。甲種合格の身分だったからだ。水上バスに乗って見上げる橋(駒形橋?厩橋?)でも、号外売りが「号外号外」と叫びながら走っている場面は印象的だ。
それにしても沢村栄治という不世出の投手は、つくづく生まれた時期が悪かったのだなあと気の毒な気持ちになる。戦争さえなければ…とは、この映画を観て誰もが感じることだろう。
沢村の背番号14はいま巨人では永久欠番となっているが、ウィキペディア「永久欠番」によれば、欠番となったのは戦死直後ではなく、戦後現役のまま病死した黒沢俊夫が付けていた4番を欠番とする機会に一緒に欠番とされたのだという。
黒沢の4番にしても、沢村の14番にしても、付けていた本人が名選手だったということはもちろんだが、やはり「死」を抜きにしては語れないのではないか。つまり死者への哀悼の意の表明としての永久欠番である。不滅の記録をうち立てたような選手に敬意を表しての永久欠番とは、ちょっと意味合いが異なるような気がする。
シネマヴェーラで映画を観るようになって、渋谷の町がわかるようになったかといえば、まだまだそのような域まで達していない。今回も地下通路から地上に出る出口を間違え、周囲の景色がまったくわからず、行くべき場所(道玄坂上)へそこからどう行けばたどり着けるのかさっぱり見当がつかずに戸惑ってしまった。
こういうときには慌てない。もう一度地下にもぐって、正しい出口から出ることにした。地下を歩くのが、渋谷では迷わず目的地に着くことができるもっともいいやり方なのかもしれない。情けないことではあるが。