銭ゲバ復権

銭ゲバ

先月シネマヴェーラ渋谷に「結婚の夜」を観に行ったとき(→9/12条)、二本立てだったため「ついでに」観たのが、唐十郎主演の「銭ゲバ」だった。
「結婚の夜」も面白かったのだが、70年代的なわびしさ(わたしにとっては懐かしさ)を感じさせる画面の「銭ゲバ」も、唐十郎加藤武のどぎつい演技とともに強い印象に残ったのである。
そのとき感想をアップしたところ、「銭ゲバ」がキーワード登録されているのに驚いた。むろん映画ではなく、ジョージ秋山の原作が、である。というより、わたしが無知だったのだ。ふだん漫画を読まず、ジョージ秋山の代表作「浮浪雲」ですら名前を知っているだけで読んだことはない。「銭ゲバ」はジョージ秋山初期の代表作だったのである。
さらに驚くべきことに、幻冬舎文庫の今月の新刊として、この銭ゲバが上*1*2巻二冊で復刊されたのである。つい買ってしまったではないか。
下巻帯オモテにある「長年入手困難だった名作、ついに文庫化!!」という惹句にもつられた。買ってから刊行メモを見ると、原作は70〜71年に『少年サンデー』に連載され、この文庫版は2000年5月にソフトマジックという版元から出た単行本*3を二分冊にしたものとある。2000年に出て以来「長年入手困難」なのか、2000年の単行本もそれほど刊行部数が多くなかったのか。「長年入手困難」につられた人間としては、ちょっと大げさなような気がしないでもない。
ところで映画「銭ゲバ」が制作されたのは70年10月のこと。原作の連載期間を知ってからみたび驚く。まだ連載が完結していないのに映画化されていたのだ。どうりで映画が原作の半分ほど(文庫版でいえば上巻の三分の二くらい)にさしかかったところで幕切れになっていたわけだ。
さっそく原作を読んでみると、映画が幕切れになったあとにもなかなか面白い人物が登場してきて、ひと波乱もふた波乱もある。主人公蒲郡風太郎も「世の中銭ズラ」道を邁進し、ついには政治家を目指すのである。
政治家とは県知事選挙の立候補なのだが、対立候補として風太郎の前に立ちはだかるのが「奥田鬼久丸」という悪徳弁護士。映画「銭ゲバ」のプロデューサーの一人に「奥田喜久丸」という名前があって、後半登場するこの奥田鬼久丸は、映画化を機縁にプロデューサーから名前を拝借したのだろうか。奥田氏とは当時よほどの凄腕プロデューサーなのか、事情をまったく知らないわたしには、そんな推測しかできない。
今朝たまたま新聞朝刊にあった雑誌広告を見ていたら、某週刊誌の広告見出しにて、前時津風親方をして「銭ゲバ」と呼んでおり、その偶然によたび驚いた。何事も金があれば解決できると金の妄執に取り憑かれた人物のことを「銭ゲバ」と呼ぶのは、何となく頭の隅に残っていたけれども、その言葉が現在においても死語にならず、週刊誌の主要記事を飾る見出しのなかでセンセーショナルに使われている。
もっとも、いまなお「銭ゲバ」が有効な言葉なのか、記事を書いた記者がジョージ秋山ファンなのか、最近わたしの知らないところで「銭ゲバ」という言葉が復活し、その流れで映画や原作の復刊につながっているのか、よくわからない。