日露戦争と日本人

軍神

先日観た「明治天皇と日露大戦争」の感想を書こうとして、「大ヒットの不思議」と標題を付けたままだった。この作品は明治天皇嵐寛寿郎が演じたこと、日本映画初のシネマスコープ作品を目指したことなどで知られ、「空前の大ヒットとなった」と言われている。
この「空前の大ヒット」がどの程度のものなのか、当時の状況や比較数字などがわからないので何とも言えないのだが、だとすればなぜ1957年(昭和32年)という時期に、日露戦争を題材にした戦争映画がヒットしたのか、不思議だったのである。
昭和天皇イッセー尾形が演じた「太陽」が衝撃的だったことから類推すれば、(明治)天皇を映画で登場させたという点でもヒットの要素はあったのだろうか。ただそれにしても不思議さはつのる。
試みに佐藤忠男さんの『増補版日本映画史2』*1岩波書店)をめくってみると、そもそも新東宝という映画会社は東宝争議のとき、組合主流に反対して分裂してできたのであり、とくにそのなかでもイデオロギー的に国家主義的であるために反共産主義的であ」ったという渡辺邦男監督だからこそ撮りえた作品で、「これらは映画としては見るからに安っぽいものばかりだったが、イデオロギー的に共鳴する人々にとってはそれで十分だったのである程度の需要があった」と、興行成績はともかく、内容については低評価にとどまっている。
日露戦争の映画として思い出すのは、「二百三高地」だ。これは公開当時親と観に行った記憶がある。1980年だから、中学1年のとき。仲代達矢の乃木大将が主人公だが、そもそもひねくれ者のわたしのこと、この映画で強い印象に残ったのは、もう一人の主役、児玉源太郎を演じた丹波哲郎だった。このとき初めて児玉源太郎という軍人を知り、彼が日露戦争に果たした役割の大きさを知ったのだった。
いまキャストをふりかえれば、伊藤博文森繁久弥、金子堅太郎を天知茂明治天皇三船敏郎が演じていたのか。こちらはまったく憶えていない。その他印象深いのは、「♪教えてください」「♪愛は死にますか〜」と絶唱したさだまさしの主題歌「防人の詩」だ。子供ながら、当時「雨やどり」以来のさだまさしファンだったのである。
さてこの「二百三高地」では、もちろん乃木希典と、従軍中戦死した子息のドラマだったり、乃木と児玉の友情に重点が置かれていたように思う。ことほどさように日露戦争をドラマとして見た場合、乃木大将が主役のひとりになることは間違いない。
いっぽうのこの戦争では、のちに「軍神」と崇められる廣瀬武夫少佐が有名だ。旅順港内にいるロシア艦隊を閉じこめるため、港の入口に船を沈め出てこられなくする「閉塞作戦」のおり、見えなくなった部下を捜して命を失ったのが廣瀬少佐である。没後「軍神」と崇められ、万世橋駅前に銅像が建立された。
この廣瀬少佐のような「軍神」イメージは当時の軍部・民衆のいかなる思いによって作られていったのかを、日露戦争から第二次大戦における「軍神」たちを検討して論じた本、山室建徳さんの『軍神―近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡』*2中公新書)が最近出たばかりだったので、「明治天皇と日露大戦争」をきっかけに、読んでみることにしたのである。
山室さんは廣瀬少佐が軍神となった経緯について、次のように推測する。

つまり、戦争が始まり日本人としての同胞意識が高まる中で、人々は無意識のうちにその一体感を投影できる人格、体現する英雄が登場することを望んでいたといえないだろうか。(37頁)
日露戦争においては、日本海海戦バルチック艦隊を破った東郷平八郎と、旅順攻撃の乃木希典二人もまた軍神として称えられた。これに対して廣瀬の場合、指揮官として赫々たる武勲をあげたわけではないけれども、元々人格者であり、部下を思いやるような人物だった廣瀬の悲劇の死が、日本国民によって英雄視されるに至ったのである。
山室さんは、第二次大戦へと推移するにつれ、こうした軍神イメージは、廣瀬のようなタイプから、決死の覚悟で敵陣に突入し命を失った特攻隊的存在である「爆弾三勇士」や特殊潜行艇の「九軍神」へと様変わりしたと論じて興味深い。もともと日本で特攻精神を称揚するようになったのは、敗色がにじみ出してきてからのことなのだ。
話を日露戦争に戻せば、海軍の廣瀬少佐同様、部下を思いやりながら戦死した陸軍の橘周太少佐もまた、没後軍神として崇められるようになったという。廣瀬少佐は万世橋銅像で知ってはいても、橘少佐は知らなかった。
でも「明治天皇と日露大戦争」を観ると、廣瀬少佐を演じたのは宇津井健、橘少佐を演じたのは若山富三郎と、きちんと若手のスター俳優を配しているあたり、この映画の主眼がどこにあったのかわかろうというものだ。ついでにいえば、日露戦争で戦死した乃木大将の次男乃木保典は高島忠夫だから、やはり廣瀬・橘の両軍神の物語と、乃木親子の物語がメインなのである*3。それにアラカン明治天皇の民衆を思いやる「おおみこころ」。
1957年といえば戦争が終わってまだ12年しか経っていない。この時期の日本人には、廣瀬・橘という軍神のイメージが残映として強く残っていたのだろうか。それが戦争映画のスペクタクル性と合わせてヒットにつながったのか。
1980年の「二百三高地」では、もはや軍神は登場しない。かくして主題は、息子を失った悲しみに耐え、多くの将兵を失いながら苦労して勝利を収めた乃木希典の家族愛・友情を中心に取り上げたものに変容してゆくのだった。

*1:ISBN:4000265784

*2:ISBN:9784121019042

*3:二百三高地」で児玉源太郎を演じた丹波哲郎は、連合艦隊参謀長の島村少将を演じている。東郷平八郎役は田崎潤