第6 幻景としての笛吹川

笛吹川

先の週末、一泊二日で石和温泉に行ってきた。
と言うといかにも聞こえはいいが、これが自発的に余暇を利用して湯治に赴いたのならまだしも、当地で開催された学術的シンポジウムのパネラーとして参加したという受け身の動機だった。
人前で話すことが苦手なうえに人づきあいも悪いから、わたしにはおよそパネラーなどという役回りに縁はないはずだが、誘ってくださる方がいて、一生に一度の思い出づくりにもなろうかとありがたくお引き受けした。
「8時ちょうどのあずさ2号」ならぬ、8時30分ちょうどのあずさ7号で石和温泉に向かう。中央本線の特急など乗り慣れていないため(以前一度諏訪を訪れて以来)、ホームにたどりつくまで新宿駅で散々迷った。中央本線特急ホーム(5番線)はかなり離れた場所にあり、遠いなあと歩いていったら、自分の乗るあずさ7号に限って、普通の中央線のホームから出発することがわかり、ぷんぷんしながら慌ててひきかえす。
ところで石和温泉笛吹市にある。温泉を擁する石和町など山梨県東八代郡の町村が合併して2004年にできた。笛吹市、いい名前だ。隣の塩山市勝沼町などが合併して甲州市という名前になってしまったのとくらべると、断然気がきいている。
せっかく温泉に行くのだからと、最近購った田山花袋の温泉紀行文『温泉めぐり』*1岩波文庫)を携えた。しかし花袋はこのなかで石和温泉に触れていない。それもそのはず、ここは昭和36年、果樹園のなかに突然お湯が湧き出で、そこから始まったのだから*2。花袋が温泉をめぐり歩いた大正時代には存在しなかったわけである。
とあるホテルの廻廊に、温泉が湧き出した当時のモノクロ写真がパネルにして飾られていた。田植え直前の田んぼのように地面にお湯がはられているかのようで、覆いもなにもない野天で、地元の人びととおぼしき老若男女が素っ裸になって湯に浸かっている。露天風呂というより、いま書いたように「野天」と称したほうがふさわしく野趣たっぷりの光景だった。
駅に降り立つと予想以上に町が賑やかで驚いた。駅前が衰退した地方都市、あるいは温泉街というイメージで行くと大違いで、駅前に大きなスーパーがあって、幹線道路沿いにはレストランのチェーンなど商業施設が並んでいる。町中には灌漑用水路なのだろうか、小さい川が縦横に走る。臭いが気になる流れもあれば、清流もある。
立派な中央競馬場外馬券売場(WINS)もあった。そういえばむかし競馬新聞で「ウインズ石和」の名前を見つけ、「なぜ石和にウインズが」と訝ったことを思い出した。温泉を中心にしたこれほどの歓楽街ならば、ウインズがあってもおかしくない。
それでなくとも「懇ろに親しむ」目的の酒席は話の輪に入れない気質なのに、最近どういうわけか人間嫌いが昂進し、ふだんに輪をかけて「懇ろに親し」めず、むしろ孤独・孤立を好む。幸い翌日二日目に口頭報告をひかえていることもあり、その口実を心のなかに用意して、酒もひかえ目に早々と酒席を抜け出した。
積極的に温泉場に旅するほどの温泉好きではないけれど、行ったところが温泉場なら浸からない手はないという貧乏性的温泉好みである。「懇ろに親しむ」席で酔っ払ったら湯に入れなくなり、もったいない。いまのわたしは「懇ろに親しむ」より温泉を選びたい。まだ酒席が賑わいを失っていない裏側で、一人ゆっくり温泉に浸かる。肩や足腰に激しい水流が噴き出すバブルジェットが気持ちいい。極楽極楽。
その日は早めに床についた。翌日の口頭報告に備えてというより、温泉のほかもうひとつ心に期していた石和訪問の目的のためである。翌朝6時前に早起きして、宿から歩いて20分ほどの場所にある笛吹川の河川敷まで散歩する。
笛吹川深沢七郎の長篇は読んだ記憶がすっかり薄れてしまったけれど、木下惠介監督の映画の印象は鮮烈に残っている。その舞台となった場所にせっかく来たのだから、訪れてみたい。笛吹川に架かる「笛吹橋」の袂にある「ギッチョン籠」と呼ばれた陋屋に住む百姓一家が、戦国大名武田氏の戦いに翻弄され散り散りになってゆく物語(→2004/11/10条)。
帰宅後繙いた長部日出雄さんの『天才監督 木下惠介*3(新潮社)には、撮影時のエピソードが紹介されている。

惠介とスタッフは最初、原作通り甲州の石和付近にロケハンを行なったが、おもわしい場所がなく、隅隅まで知り尽くしている信州の善光寺平を舞台とし、千曲川笛吹川に見立て、流れにかかる木橋の袂に、ギッチョン籠のオープンセットを建てて、撮影に取りかかった。(413頁)
映画が撮られた昭和35年前後(温泉湧出の直前だ)にくらべ、住宅地が緑を浸食しているのは当然だが、笛吹河畔を歩きながら、映画の風景とは異なる肌合いを感じたことは間違っていなかった。石和にも同じ名の「笛吹橋」があるが、原作の笛吹橋はここをイメージしていたにしても、印象にある映画のそれとは違っていそうだった。
時間的な制約もあって、そもそもその笛吹橋まで行けず、ひとつ手前の鵜飼橋を過ぎたあたり、先にかすかに笛吹橋らしい姿を確認できる地点まで歩き、ゆっくり引き返す。いかにも盆地らしく、河原を中心にした平地から山の連なりを見渡せば、そこに向かって大地が緩やかに傾斜しながら山裾として広がってゆく雄大な風景。わが郷里の盆地と重なる。
したがって今回の笛吹川散歩はあくまで“幻景としての笛吹川”をたどったものに過ぎないけれど、あの作品が生まれた風土、川を中心とした盆地の風景を十分堪能した。往復一時間弱の散歩で汗をかいたので、朝風呂に浸かって温泉気分を味わう。もはや報告などどうでもよくなってきた。
笛吹川 [DVD]帰宅後映画「笛吹川」を再見したことは言うまでもない。現実の笛吹川より断然水量の多い川に架かる長い木橋と、袂のギッチョン籠。木橋を駆け抜ける馬の蹄の音が、袂で寝ている百姓たちの心に波風を立たせる。名もない百姓たちは、武士たちの争いに巻き込まれ、「ノオテンキ」と呼ばれる男たちは、自ら志願して戦いに加わり、虫けらのように命を落としてゆく。
親方様に産まれた赤ん坊の胞衣を埋めるとき、足を怪我してそれを穢したというので無惨にも斬り殺された加藤嘉。侍などに憧れず百姓をやっていればいいのだと繰り返し孫に語りかけ、とうとう病で倒れ静かに息を引き取る織田政雄。子どもたちが破滅に向かう武田氏の軍に加わるのを制止するため、行軍を追いかける母親高峰秀子の姿が印象深い初見にくらべ、二度目の今回は、人生を百姓に徹しきった織田政雄の姿が心に沁みる。
映画のなかの笛吹川は現実の笛吹川とは違うし、自分の目で見た笛吹川も、小説の笛吹川とは違い、小説の笛吹川は戦国時代の笛吹川とは違う。そんな何重にも異なる笛吹川の風景が、ひとつの幻景となって、まさに「笛吹川」としか言えないようなイメージとして、実景と映画を媒介に、脳裏に立ちのぼってきたのだった。