山村聰のシャツの襟

「河口」(1961年、松竹大船)
監督中村登/原作井上靖/脚本権藤利英/岡田茉莉子山村聰田村高廣杉浦直樹東野英治郎滝沢修沢村貞子

筋としてはさほど面白くはない。一人のヒロイン(岡田茉莉子)の、女性画商としての華やかな生活の裏側で展開された、幸薄い男性遍歴を描いた作品と言えるだろうか。風俗映画(小説)というわけでもなさそうだし、映画に限って言えば、岡田茉莉子の美しさにただ見入るというのが主眼なのだろうか。
実業家滝沢修の二号として囲われた岡田茉莉子が、滝沢の葬儀に参会して過去をふりかえるという枠でストーリーが進行する。滝沢と岡田の関係はあっさり語られ、二人の別れから物語は動き出す。岡田も滝沢に嫌悪を抱いてきた頃、滝沢からも別れ話を持ち出され、二人はすんなり別れるのである。
滝沢の家に飾る絵を差配していて、ほとんど執事のような右腕となっているのが山村聰。山村は岡田を見込んで、彼女を女性画商に仕立て上げ、自分はその事務責任者として彼女を陰で支えることに専念する。
この山村聰の役どころが、この映画のポイントなのだろう。岡田を女性として見ているわけでなく、まるで主人と召使いのような上下関係で山村は岡田に尽くす。岡田もつむじを曲げた時など、山村に対し、あれを持ってこい、こうしてほしいなど我儘を言いたい放題で、山村も苦笑しながらそれに応じる。このあたりのシーンが好きだ。
そんな山村のトレードマーク(?)とも言うべきなのが、シャツの襟だ。ジャケットの下にワイシャツの襟がきちんと収まらず、シャツの両襟の先が折れ曲がって外にぴょんと出てしまっている。山村の登場シーンでは、いつもそうした身なりなのである。
自分の経験に照らしてみても、さすがにシャツの襟が上着の襟にはじかれて曲がって外に飛び出ているというのは気になる。でも山村はそんなことに頓着しない。襟ではないが、別の場面では、岡田と二人で歩いているとき、靴が歩くたびにキュッキュッと音を立てるので、こらえかねた岡田が山村に新しい靴を買ったほうがいいと忠告する場面もある。いい絵を手に入れることだけが生き甲斐で、身なりにはこだわらない。そんな役柄なのである。
たとえば「人間の條件」などでもそうだが、山村聰がこうしたバイタリティのある役を演じるのには違和感がある。とはいっても存在感があるからさすがだ。
杉浦直樹東野英治郎はそれぞれ岡田と関係を持つ実業家。大阪のいかにも好色といった雰囲気の東野英治郎が、岡田と食事するときステーキを注文するのがおかしい。哀しいかな岡田に捨てられてしまうのだが。杉浦は自分から岡田をふろうとしたのに、いざ岡田から別れ話を持ち出されると未練を断ち切れないという情けない役。
田村高廣山村聰の友人で、新鋭建築家の役。岡田は最終的に彼に好意を抱くが、長く病床に伏していた彼の妻が回復しつつあるという話を聞いて、岡田は身を引くことを決意する。田村を諦めたことを告白された山村は、張り切って絵(佐伯祐三だった)の競売で値を釣り上げてしまっているが、山村にとって岡田は何なのだろうという疑問が残る。