第5 京都日帰り若冲展

若冲展

相国寺承天閣美術館若冲展が開催されているということを知ったのはつい先日のこと。滅多にない展示であるということで観逃したくなかったが、すでに会期末が近く、美術館のサイトを見ると週末は大行列になっているという。
仕事が立て込んでいるので、貴重な平日をつぶすのに躊躇をおぼえたものの、並ぶのはもっと嫌だ。仕方ないので年休を取って金曜日に日帰りで京都に行くことにした。かなり前にJTBに積み立ていた旅行券があったはず。本当は(いつの日か行くべき)家族旅行のためのものだけれど、京都日帰り分の支出を認めてもらったので、旅費についてはお金の心配がいらなくなった。
天気はあいにくの雨。京都も雨降りだというから、平日だし、人も少なめではないか。そんな期待を抱く。
せっかく平日に休みをとったのだから、閑雅な気分で過ごしたい。往復新幹線の車中でも愉しみたい。そんなことから、先日入手した堀江敏幸さんの新刊『バン・マリーへの手紙』*1岩波書店)を携えることにする。
『回送電車』や『一階でも二階でもない夜』に通じる“湯煎の思考”。そんな堀江さん独特の発想にしびれつつ、これから京都に日帰りで若冲だけを観に行くという贅沢さを思い、一人悦に入る。
でも最初の一篇「牛乳は噛んで飲むものである」を読んだところで、読み進めるのが何だかもったいなくなってきた。それに、ちょうど電車本にしていた長篇小説が滅法面白く、佳境にさしかかっていたこともあり、そちらを優先することにした。源氏鶏太の『停年退職(下)』*2河出文庫)がそれである。まあ、堀江さんの本のことも、源氏さんの本のことも、別の機会に書くことにしよう。
本を読みながら居眠りしているうちに新幹線は京都に着いた。まっすぐ地下鉄烏丸線今出川に向かう。相国寺はそこからすぐだ。実はわたしは相国寺を訪れるのは(たぶん)初めてのこと。このお寺に関係する史料を研究に使っていたりしながら、これまで訪れる機会がなかった。
境内に入ると、いきなり「雁の寺」という看板が目に入る。相国寺塔頭瑞春院である。ここは水上勉さんが出家得度したところで、水上さんの出世作「雁の寺」のモデルでもあるという。原作は読んだので、帰ったら川島雄三監督の映画を観ようと決める。
本堂を横目に見ながら境内を進むと人だかりがしている。美術館が近い。立て看板によれば、今日は入場するまで20分待ちだという。平日の、さらに雨の日だというのに。がっくり。展示室は第一・第二の二つに分かれているが、それぞれの展示室内で人数制限がなされるため、展示室に入る前でだいぶ待たされる。二つ合わせて30分以上かかっただろう。
とりわけメインの「動植綵絵」が一堂に展示されている第二展示室に至るまでの、第一展示室からの渡り廊下がひどかった。廊下にびっしり人が詰め込まれ動かない。しかも出口が狭いのでそこで詰まる。第二展示室は人の流れが第一にくらべ滞りがちなので、なかなか次の集団が入れない。雨降りのうえに蒸し暑くて往生した。持参の扇子が役に立つ。
第一展示室の目玉は、鹿苑寺金閣寺相国寺の寺外塔頭)の障壁画。鹿苑寺の大書院を飾る襖絵として、若冲水墨画が50面にもわたり展開する。「動植綵絵」に劣らず、植物と鳥の姿が精緻に描かれた様子は、マニエリスムと枯淡という二極の均衡を見事に保つ。でもそこに囲まれた空間は、想像するにまさしく禅院にほかならないだろう、そんな雰囲気なのである。
第二展示室では、正面に「釈迦三尊像」3幅、左右両側に「動植綵絵」30幅が15幅ずつ、左右の対照を熟慮のうえ並べられている。「動植綵絵」の配列を示す史料は残っておらず、辻惟雄さんら展覧会に関わった人たちがそれを検討した結果なのだそうだ。
さて最初に「滅多にない展示」と書いたのは、若冲筆の「釈迦三尊像」と「動植綵絵」が一堂に会するのは120年ぶりという歴史的チャンスであるということだ。もともとこの33幅は、若冲が亡き家族と自分自身の永代供養を願い相国寺に寄進したもので、明治の廃仏毀釈相国寺が危機に瀕していたとき、一万円の下賜金とひきかえに「動植綵絵」30幅が帝室(皇室)に献上され、相国寺はそのお金で敷地を守ったのだという。それから「動植綵絵」は御物となって現在宮内庁三の丸尚蔵館所蔵となっている。
東京にあるものをわざわざ京都に観に来るのも愚かなりと思いつつ、でも元来一緒だった「釈迦三尊像」との再会という機会に立ち会うこともこれからあるかわからない、そうして自分の気持ちを落ち着ける。
それにしても、「動植綵絵」が一つの空間にずらり並んでいる様は壮観だった。部屋の真ん中に立ってぐるりひと回りするだけで心が豊かになる感じ。
恒例の、自分が持つとすればどれがいいかというセレクト・タイム。湿地のような場所にうごめく蛙や蛇、毛虫やイモリ、蝶や蝉、カマキリなどを描いた「池辺群虫図」を選ぶ。緑色を基調にした色合いが素晴らしい。
展示室で「池辺群虫図」と対置され、その反対側にあったのが、甲殻類ばかりずらり描いた「貝甲図」。これもまた様々な貝が群れ集う様子が素敵だ。雀が群れをなして飛んでいる「秋塘群雀図」といい、わたしは群を描いた画幅に心動かされるらしい。
もちろん若冲といえば…の鶏を描いた諸幅の鮮やかな色づかいと筆致にも感服するのだが、マニエリスムということであれば、「牡丹小禽図」や「薔薇小禽図」のように、一面咲き誇った牡丹や薔薇のなかに一、二匹とまっている小鳥を描いた絵柄にうっとりさせられる。薔薇や牡丹の花を一輪一輪丁寧に描き込むあの執念!
旅費は浮いたけれども、入場料(1500円)と図録代(2500円)でけっこうな出費であった。ただ、これに行列のうんざりを加えたうえで差し引きしても、東京から観に来た甲斐のある展示に満足だった。
美術館を出ても雨は降りつづいている。傘を差しながら相国寺の境内をひとめぐりする。長得院、豊光寺、大光明寺、普広院、養源院、光源院など、史料で見たことのある塔頭がずらりと並んでいてある種の感動をおぼえる。瑩域に若冲のお墓があるというので詣でたところ、ひとつのブロックに、足利義政を中央にして、藤原定家若冲の墓碑が三つ仲良く並んでいた。もともとそれぞれの塔頭にあった墓所を一つに合わせたのだろうが、それにしてもこの並び方は…と呆然としてしまう。
今日の京都見物はこれぎりである。相国寺に隣接する同志社大学の赤煉瓦校舎に見とれ、相国寺との対比の妙に感じ入りながら今出川の駅まで歩いて地下鉄で京都駅に戻り、そのまま新幹線に乗った。
お昼ご飯も食べずに展示に集中した。帰りの新幹線では、東京駅で買い込んでおいた崎陽軒のシウマイ(15個入り550円)を肴に、エビスビール500ml缶(最近エビスビールが好み。でも特別なときだけ)を呑んでプハーッといい気分に。これが昼ご飯がわり。わざわざ京都まで来てそこで何も食べず、しかも崎陽軒のシウマイとは笑止だが、これを食べたかったのである。食べながらビールを飲みたかったのである。
ビールを呑んでシウマイを食べたら、すっかりできあがってしまった。若冲展の余韻を頭に、ふたたびウトウトと夢見心地。閑雅に新幹線読書というわけはいかなかったのである。