女性の自立と男

ノーサイド1994年10月号

「薔薇合戦」(1950年、松竹京都・映画芸術協会)
監督成瀬巳喜男/原作丹羽文雄/脚本西亀元貞/三宅邦子/若山セツ子/桂木洋子鶴田浩二大坂志郎/安部徹/永田光男/進藤英太郎千石規子/仁科周芳/若杉曜子

先日桂木洋子小林桂樹主演作の「やがて青空」を観たとき(→4/25条)、『ノーサイド』1994年10月号について触れた。
これまでも何度かこの雑誌に言及しているが、特集は「戦後が似合う映画女優」というもので、戦後の黄金時代に活躍した日本の映画女優168人について、写真とプロフィールに加え、映画評論家丹野達弥・木全公彦・田中真澄三氏が短文を寄せるという魅力的な企画である。
取り上げられた女優は原節子久我美子らトップスターにとどまらず、田中筆子や原泉、高橋とよや三好栄子といった中年脇役女優に至るまで多彩であり、これ一冊あれば主要な女優はほとんどカバーしているのではないかと思わせる充実した「女優図鑑」となっている。
奥村書店銀座三丁目店でたまたま見つけて買い求めた。以来繰り返しページを繰って飽きない。その表紙が、若山セツ子と桂木洋子が顔をつけて抱き合う写真(上参照)なのである。
このあいだ「やがて青空」でこのスチール写真に触れたさい、ではこの写真はいったい何の映画なのだろうと目次を見てみると、成瀬巳喜男監督の松竹作品「薔薇合戦」のものであるというキャプションがあった。もとより若山セツ子も気になる女優の一人、桂木洋子追悼の第二弾で、「薔薇合戦」を観てみようと思いたった。
東宝の看板監督であるはずの成瀬巳喜男が、なぜこのとき古巣の松竹(とはいえ撮影所は大船でなく京都)でこの作品を撮ったのか、いきさつはわからない。でもこのおかげで、松竹の女優である桂木洋子が成瀬作品に出演するという珍しい組み合わせが観られたわけである。成瀬監督はこの時期「スランプ」であり、翌51年の「めし」でそこから脱出したと言われている。「薔薇合戦」も失敗作と位置づけられていたのではなかったか。
さてストーリーは、化粧品会社を経営する夫に死なれた未亡人三宅邦子と、彼女の二人の妹若山セツ子・桂木洋子の三姉妹が軸となって展開する。化粧品会社社長に就任した三宅だが、夫は前にいたライバル会社からの独立などで「負の遺産」を残しており、それを清算するために苦労する。ライバル会社社長で、次女若山セツ子に気があるのが安部徹。
次女若山は「忍従する女」。おとなしく、自己主張できない。姉の言うことにしたがい、将来が期待される有望な社員と結婚する。三女桂木は反対に「自由な女」。映画雑誌記者で、一人暮らしを模索する。好きな男と実験的な「別居結婚」をしようとする。その相手が大坂志郎
三宅にしても、未亡人となったために、事業家の進藤英太郎パトロンになってもらったり、年下の恋人仁科周芳を会社の会計に雇ったりする。
しかし三人が三人とも、これらの恋愛に破局がおとずれる。若山の夫永田光男は、宣伝部長として三宅に引き抜かれた鶴田浩二に嫉妬して妻を疑い、さらに三宅が自分の恋人を会社に入れたことに反撥し、堕落してゆく。若山はこれまでの忍従する自分に見切りをつけ、積極的に生きることを決意、好意を持っていた鶴田浩二に接近する。
桂木の「夫」大坂志郎には実は本妻千石規子がいた。千石は赤ん坊をおんぶして桂木のアパートを訪れ、養育費をせびる。このあたり「稲妻」の中北千枝子を思い出す。大坂は大坂で「妻」の桂木からお金を借りようとする。結婚前は好青年風だった大坂が、次第に卑屈になってゆく様子がいい。そういえば、大坂志郎と成瀬監督という組み合わせもこれだけかもしれない。
三宅の若い恋人仁科周芳も、なかなか結婚に踏み切ってくれない三宅に苛立ち、彼女のもとから去ってゆく。
結局この映画は、戦後社会のなかで自立してゆく女性たちについてゆけず落伍した男の物語でもある。男は得てして考え方が保守的だ。もっとも理解あるという雰囲気の鶴田浩二ですら、「結婚は平和と安定を求めるもの」と言っている。そんな保守的な男たちが三宅や若山・桂木に捨てられる物語なのであった。
この映画では、桂木洋子にまして存在感があるのが若山セツ子。「青い山脈」や「石中先生行状記」での溌剌とした娘の印象とはかけ離れた、物静かな女性を演じこれも違和感がない。例の『ノーサイド』を見ると若山は1929年生まれで桂木の一歳年長。このとき21歳! 「青い山脈」は「薔薇合戦」の前年、「石中先生行状記」は同じ年の作品なのである。
谷口千吉監督との結婚・離婚を経たのち、自殺するという悲劇的な結末をたどった女優さん。関心は桂木洋子から若山セツ子へと動いた。